書庫: 龍のすみか 所収
≪場の力≫
場の力をトータルに記述し、
具体的に描写することの困難さを思っている。
そんなことが可能なのかも含めて、目に見えぬ力の、
それでいて、目に見えて具体的な力の影響を目前にするとき、
これら <観察する主体> と <観察される客体> との間に、
「与える力」 と 「与えられる力」 との、不可分で不可同 (不一不二) な、
相補的で相対的な関係性 (相互作用) が見て取れる。
「場の力」 を記述するに当って、つねに問題となるのが、
この <観察する主体> と呼ばれる 観測者の問題であり、
視点、及び視座の問題がある。
「場の力」 を先取りして言えば、この観測者もまた、
場の力を行使する者であり、すでに先験的に与件された
場の力を用いる者として、<場の力の内> である。
つまり、「意識的 (恣意的或は偶意的で、志向的な) 行為」 は、
それが何であれ、何を志向しようとも、すでに先験的に与件された
「場の力」 (観音力) の行使と見なされる。 (自力即他力/逆も真)
≪場の力≫
場の力をトータルに記述し、
具体的に描写することの困難さを思っている。
そんなことが可能なのかも含めて、目に見えぬ力の、
それでいて、目に見えて具体的な力の影響を目前にするとき、
これら <観察する主体> と <観察される客体> との間に、
「与える力」 と 「与えられる力」 との、不可分で不可同 (不一不二) な、
相補的で相対的な関係性 (相互作用) が見て取れる。
「場の力」 を記述するに当って、つねに問題となるのが、
この <観察する主体> と呼ばれる 観測者の問題であり、
視点、及び視座の問題がある。
「場の力」 を先取りして言えば、この観測者もまた、
場の力を行使する者であり、すでに先験的に与件された
場の力を用いる者として、<場の力の内> である。
つまり、「意識的 (恣意的或は偶意的で、志向的な) 行為」 は、
それが何であれ、何を志向しようとも、すでに先験的に与件された
「場の力」 (観音力) の行使と見なされる。 (自力即他力/逆も真)