書庫: 龍のすみか 所収
   


   庭でもようやく蝉が鳴き出した。

   ――― 今日も暑くなりそうだ。



   ≪ 我々の行為は、快楽への飽くなき追及と

   喪失の恐怖とに動機 (条件) 付けられている。≫


   
   このように、言葉にすれば 「他者依存」 だ、

   「自己執着」 だ、と簡単に分析され解析されるが、

   実際に即せば、事はそう簡単でも単純でもない。


   我々はすでに、物一つ買うにしても、

   テレビやラジオや新聞を見聞きするにしても、

   バスや電車に乗り降りするにしても、あらゆる場面で、

   他者依存なくしては有り得ぬ生活形態を送っており、

   今日で言う相補性、あるいは、相互依存性と言う

   <相互信頼> のなかで生き暮らしている。


   また、恐怖の元凶だと指摘される自己執着性だってそうだ。

   これこそが、我々の日常を差配し案配する主体に他ならず、

   このアイデンティティーなくして、如何なる日常生活もまま成らぬ

   唯一無比、必要不可欠の大前提となっている。

  
   ( 個の自覚なくしては成立しない生活形態 )

   
   しかも、これら不安や恐怖の前提が、

   共に相反する絶対矛盾的な関係性に据え置かれて、

   二律背反的な関係性となっている。


   つまり、他に依存しないのであれば、自己に依る他はなく、

   自己に依らないのであれば、他己に依るしかないのであるから。


   ( 今のところ、この入り組み以外に方途が見当たらない。)


   このような他に出口の無い絶対矛盾的な自己同一性の中に在って、

   自・他律する自己矛盾と葛藤と分裂とにさいなまれ、

   そうであるかぎり、

   不安 (他者依存) や恐怖 (自己執着) からは逃れ得ないと言う、

   極めて困難な立場に立たされている。


   そして、これこそが当面する切実な問題なのであるが、

   「今日の支払いを何とかしなければならず」

   「これから、あの嫌な取引先の部長に会わなければならず」

   「さっき食べたばかりなのに、また、食事の世話をしなければならず」

   便秘と吹き出物に悩まされ、メタボと運動不足が気になり、

   昨日の残り物と、今日の予定と、明日の期日に、

   息つく暇もなく、事象の表象に追い立てられ疲れ果てている。 


   ( あち―ッ!! )