≪場のふるまい就 所収
≪意識の限界≫
先に、 「即自限界」 と 「対自限界」 について書いた。
簡単に言えば、 <内に居れば外のことが分らず、
外に居れば内のことが分らない> と言うだけの事であるが、
じつはこの記述は、場の立ち位置や立場 (場の位相性) に依る
「場の限界」 と言う以上に、自己内外する 「意識の限界」 を表している。
≪人は同時に自己内外を意識することが出来ない≫
外を意識しているときは、内 (自己) が疎外 (棚上げ) され、
内を意識しているときは、外 (世界/他己) が忘れ去られる。
だからどうなんだ、 (当たり前じゃね~か!!)
と、言われると困るが、
何一つ疎外も排除もすることなく、
自己内外に渡る現実を一如等同 (平等) に眺めるには、
どうすればよいのか、と言うのが、
此処での主要なテーマとなっている。
勿論、前項 ≪事実と事情≫ に於ける重層的な 「場の位階制」
(場のテンソル) についても同じ事が言える。
≪意識の限界≫
先に、 「即自限界」 と 「対自限界」 について書いた。
簡単に言えば、 <内に居れば外のことが分らず、
外に居れば内のことが分らない> と言うだけの事であるが、
じつはこの記述は、場の立ち位置や立場 (場の位相性) に依る
「場の限界」 と言う以上に、自己内外する 「意識の限界」 を表している。
≪人は同時に自己内外を意識することが出来ない≫
外を意識しているときは、内 (自己) が疎外 (棚上げ) され、
内を意識しているときは、外 (世界/他己) が忘れ去られる。
だからどうなんだ、 (当たり前じゃね~か!!)
と、言われると困るが、
何一つ疎外も排除もすることなく、
自己内外に渡る現実を一如等同 (平等) に眺めるには、
どうすればよいのか、と言うのが、
此処での主要なテーマとなっている。
勿論、前項 ≪事実と事情≫ に於ける重層的な 「場の位階制」
(場のテンソル) についても同じ事が言える。