≪場のふるまい喉 所収
   


   ≪動著三十棒≫


   如何なるか 「自明性の現在」

   ――― 言い得るも三十棒、言い得ざるも三十棒 *


   
   言い得ば、すでに自明性にあらず。  (非在)

   言い得ざれば、不明。  (不分明)

   さて、

   どのようにして実在に通用したら良いのだろうか。



   
   
   * 『無門関』 第二十四則 「離却語言」 に曰く。

   
   風穴和尚、因みに僧問う、「語黙離微に渉り、如何にせば通じて不犯なる」。
   
   穴云く、「長えに憶う江南三月の裏、鷓鴣啼く処百花香し」。

 
   ( 風穴和尚は、あるとき僧に、「ことばも沈黙も、所詮は実在の反面しか示すことが
   できないのですが、語っても黙しても実在そのものに通じるにはどうすればよいので
   しょうか」 と尋ねられ、「いつも懐しく憶い出すのだが、江南は春三月ともなると、
   鷓鴣が鳴き、百花が咲き乱れるのだ」 という杜甫の詩をもって答えられた。)
                         
                         
                        (岩波文庫 『無門関』 西村恵信訳 参照)