≪場のふるまい喉 所収
  


   ≪他者の問題≫


   結構まじめにやっている。

   これがすべてとは言わないまでも、

   ときに、<カタクナだよね>

   と、笑ってみるんだ ・・・


   
   <自らに問う> と言う 「瞑想の形式」 を自らに課して以来、

   人の意見も聞かないし、ほとんど本も読まない。

   ( これじゃ、角も出せないし、頭も出せやしない! )


   <他人に聞く(習う)> と言うスタイルを止めたとも言えるが、

   ( 同時に、<内なる他者> の声を聞くことでも有ったのだが、)

   おかげで偏狭ならざるを得ないし、偏屈ならざるを得ない。

   
   有態に言えば、只のダダッ子ともキカン気とも言えるし、

   単に独断と偏見の権化とも見える。


   ただ、<他人に聞く> と言うスタイルを止めたことで、

   返って、自覚覚他の現況に在って、内省でも内観でもない

   よりリアルな <他者> に出会っている。  (知音/聞法)


   以前は、<内なる他者> で有った者が、

   今では、すっかり <外なる他者> となって自己対称化され、

   現前化しつつ現象化している ・・・


   いわゆる、胡散臭い神秘主義者からも脱け出して、

   透明で清明な 「リアリスト」 となったのだ。