≪場のふるまい権 所収
   


   ≪ 行為は、存在の有り様 (実存) を決定する ≫


   あるいは、こうも言えるかもしれない ――― 

   ≪ 自己行為 (姿勢及び態度を含む言動の一切 / しない自由も含んで) は、
 
   自己存在の有り様 (現存在 / 実存) を自己決定 (自己限定) できる ≫ と。
   

   
   Archives 2006 「自明性の現在」 より
   http://blogs.yahoo.co.jp/kyouoyaji/17575821.html


   Archives 2006(後半) 「時空を超えて」 参照
   http://blogs.yahoo.co.jp/kyouoyaji/22007770.html



   
   『無門関』 十六 「鐘声七条」 の頌に曰く、


   會則事同一家     会するときんば、事、同一家。

   不會萬別千差     会せざるときは、事、万別千差。

   不會事同一家     会せざるときも、事、同一家。

   會則萬別千差     会するときんば、事、万別千差。


              (『無門関』 十六 「鐘声七条」 参照)



   
   ≪不會事同一家≫   分からなくてもすべては同じ。

   
   是れ、すでに現法の内に在って <大魚、小魚を呑む>。


   ――― 「長 (とこし) えに憶う 江南三月の裏 (うち)、

   鷓鴣 (しゃこ) 啼く処 百花香 (かんば) し」 と。




   ≪會則萬別千差≫   分ってしまえば、それぞれよ。

   
   是れ、当処に在って現法を呑み込む。 <小魚、大魚を呑む>。


   ――― 「 拄杖子 (しゅじょうす)、

   化して竜となって 乾坤を呑却し了れり 」 と。



   
   無門曰く、

   「 只だ老胡の知を許して、老胡の会を許さず。

   凡夫若し知らば、即ち是れ聖人。

   聖人若し会せば、即ち是れ凡夫 」。


           (『無門関』 九 「大通智勝」 参照)