≪場のふるまい権 所収
    


   ≪ 人は行為 (意識/言動) したように成り、

   成ったように思う (意識する) ≫   
 
   
   そして、思いがけず、

   ≪ 思ったように成る ≫ のである。  


          (自己同一性の因果律/自同律)



          
   <不信の果てに>

   
   逆説的な言い方で申し訳ないが、

   本来無事であるなら、或は、当処に安心を得たなら、

   もはや、他者に習うことも、他者に尋ねることも、

   他者を真似ることも、他者を追及することもなく、

   更なる、自己究明に向かうこともあるまい。

   
   ( ・・・ 直ちに、鉾を収めるだろう。 )



   『無門関』 四十五 「他是阿誰」の頌に曰く、


   他(た)の弓挽(ひ)くこと莫(なか)れ、

   他の馬騎(の)ること莫れ。

   他の非弁ずること莫れ、

   他の事知ること莫れ。


   
   少なくとも、今此処で行われているような

   「他己追求」 も 「己事究明」 も直ちに止めるに違いない。


   
   当処、自覚覚他にして覚行円満なる

   自明了な自己が信じられないばかりに、

   <不信> と言う名の 「逆観」 に陥り、

   自己証明 (己事究明)、或は、自己実現と言う

   最も厄介で困難な自己撞着的事態に逢着する。


   それが、「自己不信」 と言う自業自得の結果とは言え、

   一度、この不信の網目に自ら掛れば、

   チョットやソットでは自己回復もならず、

   <心病> とも言うべき果てしない自己撞着的事態として、

   言語ゲーム論的葛藤の果てに、疲弊しつつ茫然自失して

   自己破壊の危機を迎え、自滅の道を辿る。