≪場のふるまい窟 所収
   


   「見色明心」 (見色に明心を諦め)

   「聞声悟道」 (聞声に悟道する) と言われる。

   「薫香至道」 も同じだ。

   
   桃花に明心を諦め、竹声に悟道するも尋常ならば、

   木犀に香を放って至道するも、これ又尋常。

   霊雲 (志勤) と言う莫れ、香厳 (智閑) と言う莫れ、

   黄山谷と言う莫れ。   ( ・・・他人事ではない。)

   すでに、「大道無門」 にして、

   「見聞覚知非一一」 なれば。

   
   
   『無門関』 自序に曰く、

   「門より入る者は是れ家珍にあらず、

   縁に従って得る者は始終成壊 (じょうえ) す」 と。


   さらに 『金剛経』 に曰く、

   「若し色を以て我を見、音声を以て我を求めば、

   是の人邪道を行じて如来を見ること能はず」 と。



   我らすでに覿面を離れず、

   眼横鼻直なるを将ってさらに疑わず、

   歴然、冷暖を自知し痛痒を見分け、

   黒白・明暗・大小・長短なるに、

   何を将って迷悟とす。


   これ、死心道人が 「第一相」 ならんや、

   即今、臨済師が 「第一句」 に観たてまつる。


   
   ――― 空手に鋤頭を把り、

   歩行して水牛に騎る。

   人、橋上より過ぐれば、

   橋は流れて水は流れず。




   
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