≪場のふるまいⅢ≫ 所収
脱・主体的な 「絶対無」 の境涯を経て、
今此処に送り返されて来る、
絶対主体的な 「個別的立場」 がある。
いわゆる、「奇特事」 とも呼ばれる、
「天上天下唯我独尊」 (釈尊) であり、
「独坐大雄峰」 (百丈) である。
また、これを 「大死一番 絶後に蘇る」 と言い、
「脱落身心」 (道元) とし、「転智得識」 としている。
俗に、<一度死んで来い> と言うのが是れであり、
<死んで来なけりゃ話にならん> と言うのも是れである。
そればかりか、
この起死回生 (復活再生) とも言うべき事態を通じて、
<何とか言ってみろ> (一句吐け!)
と、言うのである。
実際のところ、生きている者が死ねるワケもなく、
ましてや、死んでしまった者が生き返るワケもなく、
この理屈に合わず辻褄の合わない絶対矛盾的事態を、
平然と豁然大悟 (透過) して、
その証拠を見せないかぎり、
<話にならん> と言うのである。
まったく ・・・
禅と言うものは厄介至極である。