≪場のふるまいⅢ≫ 所収
   


   禅では、「百雑砕」 が言われる。

   いわゆる、 「破鏡の事」 (慧解脱) が、是れである。


   宝鏡三昧 (唯心の浄土/己心法界) が、

   時節因縁の契機 (仏縁) を得て、即座に打ち破られ、

   今此処に、 ≪非心非佛の境涯≫ が現成する。

 
   臨済師に言う、

   ≪殺佛殺祖の境涯≫ が、是れに相当するのだが、

   如何せん、是の境涯、

   「境界」 (或は、境地) と呼ぶには不似合いな程に、

   脱・心理的な ≪無相の真地≫ (如来地) を顕わす。


   多くを語れば良いのだろうけれど、

   そして、この脱落の境涯については、

   禅では、実に多くが語られるのだけれど、

   此処では、従来の煩雑さと誤解を避けるために、

   いま少し、順を追って (時には、逆を用いて)

   語ってみようと思う。


   これまで辛抱強く付き合って下さった皆さんには、

   <再犯の畏れあり> と言われ兼ねないが、

   そして、何よりも、

   此処こそが、非・思量底の事態であり、

   脱・言語ゲーム論的領域で在ることによって、

   <言わずもがな> であることに、

   今もって変わりはない。



   
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