≪場のふるまい窟 所収
『自己救済の道』 (3)
≪人は自らの運命を正受することで、運命から自由となる≫
運命に立ち向かうのも、運命に従順に従うのも、
<本人次第> となるのである。
まぎれもなく <そのような事情を抱えた人> (当事者) として、
自家薬籠中の物となるのである。
言わば、それをどう取り扱っても良いものとなり、
煮るなり焼くなり自分次第 (自由自在) で、
<どのようにでもなる> 代物となるのである。
簡単に言えば、
<運命から自由になる>
或は、<運命を自分で決める>
と、言うことなのであるが、
だからと言って、
運命そのもの (現実的事態/事情) が無くなる訳じゃない。
唯、それまで <きらい> と言う自性的傾向性に悩まされ、
不認知のまま、運命に押し流され翻弄されていた自分が、
ひとたび、運命を引き受け正受 (承認) することで、
際限の無い自我的反応 (自性的傾向性/きらい) から脱却し、
運命に対する 「自己主体性」 (自信) を取り戻すのである。 *
* わたしは、これを反応的自我から脱却して <元気を取り戻す>
或は、<元気を回復させる> と呼んでいる。
言わば、運命を抱えたまま、
<運命と共に生きることを覚悟する> とでも言うのだろうか、
運命を自らのものとし、それを嫌うことも避けることもせずに、
むしろ、<運命そのもの> を自由自在に扱い、
<運命そのもの> と一体になって生き始めるのである。
――― この時、人は、将に <正応> しながら、
運命を乗り越えるのであり、
もはや、何処にも ≪運命はない≫ と知るのである。
『自己救済の道』 (3)
≪人は自らの運命を正受することで、運命から自由となる≫
運命に立ち向かうのも、運命に従順に従うのも、
<本人次第> となるのである。
まぎれもなく <そのような事情を抱えた人> (当事者) として、
自家薬籠中の物となるのである。
言わば、それをどう取り扱っても良いものとなり、
煮るなり焼くなり自分次第 (自由自在) で、
<どのようにでもなる> 代物となるのである。
簡単に言えば、
<運命から自由になる>
或は、<運命を自分で決める>
と、言うことなのであるが、
だからと言って、
運命そのもの (現実的事態/事情) が無くなる訳じゃない。
唯、それまで <きらい> と言う自性的傾向性に悩まされ、
不認知のまま、運命に押し流され翻弄されていた自分が、
ひとたび、運命を引き受け正受 (承認) することで、
際限の無い自我的反応 (自性的傾向性/きらい) から脱却し、
運命に対する 「自己主体性」 (自信) を取り戻すのである。 *
* わたしは、これを反応的自我から脱却して <元気を取り戻す>
或は、<元気を回復させる> と呼んでいる。
言わば、運命を抱えたまま、
<運命と共に生きることを覚悟する> とでも言うのだろうか、
運命を自らのものとし、それを嫌うことも避けることもせずに、
むしろ、<運命そのもの> を自由自在に扱い、
<運命そのもの> と一体になって生き始めるのである。
――― この時、人は、将に <正応> しながら、
運命を乗り越えるのであり、
もはや、何処にも ≪運命はない≫ と知るのである。