≪場のふるまい侠 所収
   


   ≪観音の妙智力≫


   老婆心ながら、誤解があってはいけないので一言。

   
   此処で言われる 「良心」 とか 「良知良能性」 と言うのは、

   必ずしも品行方正な 「善人」 や 「聖人」 (君子) を

   言うのではありません。


   また、自我的反応とも呼ばれる人為的な 「分別的行為」 (作為/選択) でもなく、

   その行為は、世俗的な善悪の判断 (モラル/規範) の範疇を超えている。


   それは、むしろ 「無一物なる人」 (無事底の人) の

   自ずからなる (つまり、時節因縁に依る) <心の霊妙なはたらき>、

   すなわち、≪妙有妙用≫ (神通妙用/霊妙本有) を言うのであり、

   今時の言葉に倣えば、 <自由自在性> (或は、「自己主体性」) を言う。


   したがって、観世音にして観自在なる人 (真人/菩薩) と言うのも、

   単なる杓子定規な善人を言うのではなく、

   あくまでも、不思善不思悪底なる 「佛知見」 (観音の知見) に基づく

   観自在な妙有妙用、その自由自在な働き (作用/力) を言うのだから。


   ちなみに、私は、この <観世音にして観自在なる人> を、

   トータルに ≪普賢菩薩≫ (愛の人) と呼んでいる。


           
   ――― 愛の日に寄せて