≪場のふるまい侠 所収
   


   自由とは思弁的ではない。

   また、思弁的対象でもない。

   
   自由が、未だ思弁的である限り

   不自由である。


   
   此処では、思弁的なるものを思弁的なるものと、

   善く理解し、了解することに依って、

   思弁的なるものの一切が放棄 (解脱) される。


   当処に 「場の真実」 を明らめ、

   「三八九」 が了悟されることに依って、

   黒白明暗にウタガイなく、寒暖痛痒にチガイなく、

   大小長短にマヨイなきを得るなら ・・・

   
   この人は、

   当処に、一切の言語ゲーム論的葛藤を脱却して、

   自らが善く 「観自在」 なることを知るに到る。