≪場のふるまい帰 所収
語り得ないことを語ることのおこがましさ、
語り得ないことを語ることのおぞましさ、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
≪法(真理)を知る者は、法を畏る≫ *
と言われる。
* 自律自戒性の目覚め ≪戒≫
或は又、
≪知る者は言わず、言う者は知らず≫ *
とも言われる。
* 自明自証(自照)性の現場 ≪定≫
この不可侵にして不可触な不犯の ≪戒体≫ を知る者にとって、
犯すべからざる法を犯すことの無理無体 (不条理/破戒) を感得する。
これこそが、我ら一人一人の犯すべからざる 「不犯の戒体」 にして、
「不可触の法」 であるにも拘わらず ―――
すなわち、「自己本来の面目」 であり、
「自己本尊」 であるにも拘わらず
――― 無知なるが故の ≪破戒≫ に興じる。
この法 (ダルマ) を、
神と呼ぶのか 仏と呼ぶのかは知らないが、
いずれにせよ、この法に触れる時、
人はまぎれもなく <逆鱗に触れる> のであるし、
<触犯の義を犯す> * こととなる。
* ≪義なきを義とすると云うことは、なほ義のあるによるべし≫
(親鸞聖人)
語り得ないことを語ることのおこがましさ、
語り得ないことを語ることのおぞましさ、
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
≪法(真理)を知る者は、法を畏る≫ *
と言われる。
* 自律自戒性の目覚め ≪戒≫
或は又、
≪知る者は言わず、言う者は知らず≫ *
とも言われる。
* 自明自証(自照)性の現場 ≪定≫
この不可侵にして不可触な不犯の ≪戒体≫ を知る者にとって、
犯すべからざる法を犯すことの無理無体 (不条理/破戒) を感得する。
これこそが、我ら一人一人の犯すべからざる 「不犯の戒体」 にして、
「不可触の法」 であるにも拘わらず ―――
すなわち、「自己本来の面目」 であり、
「自己本尊」 であるにも拘わらず
――― 無知なるが故の ≪破戒≫ に興じる。
この法 (ダルマ) を、
神と呼ぶのか 仏と呼ぶのかは知らないが、
いずれにせよ、この法に触れる時、
人はまぎれもなく <逆鱗に触れる> のであるし、
<触犯の義を犯す> * こととなる。
* ≪義なきを義とすると云うことは、なほ義のあるによるべし≫
(親鸞聖人)