≪何してんのん≫ 所収
   


   今年も、残りわずかとなりましたが、

   みなさんには、お変わりないですか。

   わたしは風邪をこじらせて、

   きのう今日と、いまいち冴えません。



   
   ≪言ひおほせて何かある≫


   言い尽くして、いったい何事かある。

   言い果たして、いったい何が残るのか。

   この反語形式の中に、

   彼(芭蕉)は、多くの含みを残している。

   <何事もない> のだと。


   この奇妙な言い方は、釈尊の臨終に言い放たれた、

   <四十九年、一字不説> と、よく似ている。

   四十九年間、説法して来たが、

   畢竟するに、<説似一物則不中> (南岳) と。


   「当たらずといえども遠からず」 と言うことなのだろうが、

   いまさら、そのように言われても、

   声聞、縁覚の身の上なれば、

   「始末を取れ」 と、

   小言の一つも言いたくなると言うものだ。


   しかし、衷心切なるを知る者にとっては、

   釈尊の言と言い、芭蕉の言と言い、

   いずれも、<一字不説> の最浄法界に言及したに過ぎない。

   いわゆる、最上法 (無生の法) は、不可称にして不可説、

   不可思議の法であると・・・。

   のみならず、是れは不可得にして、

   可得 (所得) を以って得とするのではなく、

   不可得 (無所得) を以って得とするのだと。



   何とも辛気臭い話だが、

   いまだ、人の説かぬ法であり、

   人の説き得ざる法として、

   ≪一句いまだいひおほせず≫  (芭蕉)

   と、のたまわく。