≪何言うとんねん≫ 所収
世界を正しく見るために・・・
此処では、あらゆる 『括弧』 (バリア) が外される。
自己限定的な観念や概念の、或は、過去の記憶や反応の、
「思念(思い)の枠」 と言う 「鍵括弧」 (括弧付け) が
外されることに依って、
当面する全体的で全一的な ―――
つまり、各場に渡り、各場に止まる、
不断の叡智が留保される。
多用されてきた言葉の囲い (括弧/くくり) が、
今静かに取り外される。 (自同律の解除)
私はこれまで、便宜上 『括弧』 (格好) を付けることで、
つまり、自らを 「差異化」(差別化)し、自己相対化することで、
多くの利便を受けてきた。
しかし、そうすることで <有りもしないもの> を、
あたかも <有るかのように> 形造り、
囲い込んで来たのである。
そして、
私は <有るかのような> 思念の糸(紐)を紡いで、
自己傾向性とでも言うべき 「自性の因果」 を、
それこそ、際限も無く追い求め、
自らの 「文脈」 (レトリック) として来たのである。
言うところの、独善的な論理的整合性として、
あるいは、その専一的な合理主義者として、
分断し分析する血塗られた分別理性の徒となったのである。
世界を正しく見るために・・・
此処では、あらゆる 『括弧』 (バリア) が外される。
自己限定的な観念や概念の、或は、過去の記憶や反応の、
「思念(思い)の枠」 と言う 「鍵括弧」 (括弧付け) が
外されることに依って、
当面する全体的で全一的な ―――
つまり、各場に渡り、各場に止まる、
不断の叡智が留保される。
多用されてきた言葉の囲い (括弧/くくり) が、
今静かに取り外される。 (自同律の解除)
私はこれまで、便宜上 『括弧』 (格好) を付けることで、
つまり、自らを 「差異化」(差別化)し、自己相対化することで、
多くの利便を受けてきた。
しかし、そうすることで <有りもしないもの> を、
あたかも <有るかのように> 形造り、
囲い込んで来たのである。
そして、
私は <有るかのような> 思念の糸(紐)を紡いで、
自己傾向性とでも言うべき 「自性の因果」 を、
それこそ、際限も無く追い求め、
自らの 「文脈」 (レトリック) として来たのである。
言うところの、独善的な論理的整合性として、
あるいは、その専一的な合理主義者として、
分断し分析する血塗られた分別理性の徒となったのである。