≪何言うとんねん≫ 所収
歴史的現在 (フロント) に立って・・・ (2)
――― 逆に言えば、場があらゆる視座の基点である。
つまり、<場はあらゆる視座を基点に持つ> と言える。
すなわち、視座なき場は、もはや場ではなく、
定立的で自己限定的な 「視点」 を持たない・・・と。
それは、「場(関係性)の母体」 であり、
関係性の場 (場の関係性) を成立させる 「フィールド」 である。
場は、「関係性の場」 (相互作用の現場) として成立するが、
フィールドは、「関係性の場」 として成立しているのではない。
つまり、フィールドは 「関係性(相対性)の場」 ではない。
フィールドは、もはや 「相互作用の現場」 ではなく、
関係(相対的関係性)を成立させる「場」
――― すなわち、「フィールド」 (生成の荒野) である。
それは、むしろ 「場の出自母胎」 であり、
「場の支持基盤」 であり、
「場の背景」 (ルーツ) である。
言葉の正確さを期せば、
それは、いまだ 「~である」 のではなく、
もはや 「~でない」
或は、いまだ 「~でない」 を開示する。
すなわち、
<それは、もはや (或は、いまだ) 「場」ではない> と。
要約して言えば、
あらゆる各場が消滅しても、 「フィールド」 (生成の荒野) は
『存在の無』 として実在するのであるから。
その存在の有無にかかわらず・・・。
( 場とフィールド )
歴史的現在 (フロント) に立って・・・ (2)
――― 逆に言えば、場があらゆる視座の基点である。
つまり、<場はあらゆる視座を基点に持つ> と言える。
すなわち、視座なき場は、もはや場ではなく、
定立的で自己限定的な 「視点」 を持たない・・・と。
それは、「場(関係性)の母体」 であり、
関係性の場 (場の関係性) を成立させる 「フィールド」 である。
場は、「関係性の場」 (相互作用の現場) として成立するが、
フィールドは、「関係性の場」 として成立しているのではない。
つまり、フィールドは 「関係性(相対性)の場」 ではない。
フィールドは、もはや 「相互作用の現場」 ではなく、
関係(相対的関係性)を成立させる「場」
――― すなわち、「フィールド」 (生成の荒野) である。
それは、むしろ 「場の出自母胎」 であり、
「場の支持基盤」 であり、
「場の背景」 (ルーツ) である。
言葉の正確さを期せば、
それは、いまだ 「~である」 のではなく、
もはや 「~でない」
或は、いまだ 「~でない」 を開示する。
すなわち、
<それは、もはや (或は、いまだ) 「場」ではない> と。
要約して言えば、
あらゆる各場が消滅しても、 「フィールド」 (生成の荒野) は
『存在の無』 として実在するのであるから。
その存在の有無にかかわらず・・・。
( 場とフィールド )