≪何言うとんねん≫ 所収
≪絶対知≫
厳密な意味では、
これは、自己内外する 「対象知」 ではない。
少なくとも、<対を絶する> と言う意味では、
相対なき 「絶対の叡智」 である。
しかし、明確な対象を持たない ―――
即ち、未だ自己限定的な分別的対象を持たない、
――― と、言う意味では、
無分別な ≪無知の知≫ だとも言える。
これを、西田的文脈に置き換えれば、
<純粋経験の現場> と言うことになるだろうか・・・。
向背し違順する人為的作為を即座に脱落することによって、
当処に現成する無作為で自然法爾な生成の現場。
この、「脱落の境涯」 に立つ者こそ、
人皆が、等しく享受しつつ共有する ≪仏性≫ * であり、
「絶対知」 と呼ばれる大機大用(妙有妙用)する
≪般若の知恵≫ である。
* 「仏性」 については、別途、一項目を立てるべきなのだろうが、
ここでは、これを ≪良知良能性≫ (孟子) の謂で用いている。
≪絶対知≫
厳密な意味では、
これは、自己内外する 「対象知」 ではない。
少なくとも、<対を絶する> と言う意味では、
相対なき 「絶対の叡智」 である。
しかし、明確な対象を持たない ―――
即ち、未だ自己限定的な分別的対象を持たない、
――― と、言う意味では、
無分別な ≪無知の知≫ だとも言える。
これを、西田的文脈に置き換えれば、
<純粋経験の現場> と言うことになるだろうか・・・。
向背し違順する人為的作為を即座に脱落することによって、
当処に現成する無作為で自然法爾な生成の現場。
この、「脱落の境涯」 に立つ者こそ、
人皆が、等しく享受しつつ共有する ≪仏性≫ * であり、
「絶対知」 と呼ばれる大機大用(妙有妙用)する
≪般若の知恵≫ である。
* 「仏性」 については、別途、一項目を立てるべきなのだろうが、
ここでは、これを ≪良知良能性≫ (孟子) の謂で用いている。