≪何やっとんねん≫ 所収
   


   「少欲知足」 と言われる。

   どうも 「無欲知足」 とは、言わないらしい。

   
   「知足」 ということで言えば、

   我が家にも、「泰山金剛経」 と呼ばれる拓本の扁額がある。

   戦前の採拓で、かなり傷みや擦れが激しいが、

   「知足」 の字面が面白いのと、何かしら浅からぬ因縁を感じて、

   今日まで捨て切れないでいる。


   これは、若い頃、

   師匠から座布団五客と共に譲り受けたものだが、

   当時の私は、見るからにさもしい

   <足るを知らざる者> と見えたようで、

   ≪是れを持っていなさい≫ と、

   暗に <足るを知りなさい> と言わんばかりに

   託された代物である。


   以来、三十有余年、

   この扁額は、いつも私と共に有り、

   わたしの影となり、日向となって付き従い、

   この私を先導自戒して来たのである。


   何時の日にか、これが了悟され了見されたなら、

   わたしも誰かに譲り渡そうと後生大事にしてきたのだが、

   一向にその機会にも恵まれず、今日までウダウダと、

   足るを知らぬまゝやって来たのである。


 
   ――― そして、この 『知足』 こそが、

   日々、足るを知ることのない浅間しくもさもしい男のつれづれを、

   鴨居の上から、励ましつつも見透かし見通し続けて来たのである。