≪何やっとんねん≫ 所収

   


   以無所得故菩提薩埵       所得無きを以ての菩提薩埵

   放下着抱贓叫屈          放下着、贓(ぞう)を抱いて屈(くつ)と叫ぶ

   随縁赴感靡不周          縁に随ひ感に赴て周(あまね)からざる靡(な)し

   而常処此菩提座          而して常に此の菩提座に処す

   不明三八九対境多所思      三八九を明めずんば境に対して所思多し


   
                     ( 『毒語注心経』 白隠慧鶴頌 東嶺円慈注解 )

   


   『三八九』 とは、見聞きした通りの 『三八九』 なのだが、

   
   ( カラスはカラスで 「カァ~・カァ~」、

     スズメはスズメで 「チュン・チュン」 なのだが・・・)

   
   そして、将に 「是れ、何ぁ~に?」 (擬議) の裏側、

   正確に言えば、「表側」 (如是) である。


   如何せん、人は 「是れ何ぞ?」 「是れ何ぞ?」 と大疑を重ね、

   探しあぐね、尋ねあぐねた果ての ≪でんぐり返し≫ である。

   
   あたかも 「窮鼠、猫を噛む」 * のごとく、

   その ≪極則必反≫ に出会い、

   ≪転法輪≫ するに出会う。


   * 「小魚大魚を呑む」 とも言われる。


   したれば、「是れ何ぞ?」 の悉くが、

   ≪只、是々≫ (良寛) と、了悟され首肯されて、

   転々、全是(全肯定)されるに到る。    (仏果現成)



   ――― つきてみよ 一二三四五六七八九十

   (ひふみよいむなやここのと) を

   十とをさめて また始まるを      (良寛)


             
               ( 貞心尼 『はちすの露』 より )