≪何してんのん≫ 所収
12月8日 ≪成道会≫ はれ
今日は、「成道会」 である。
お釈迦様が、「悟り」 を開かれた日である。
明けの明星が消えるのを見て開悟されたと言う。
なにぶん昔のことゆえ、
どのような状況だったか、真偽のほどは定かではない。
その多くを文献(文字)に頼るほかない。
これと良く似た話に、
棒で名高い徳山の省悟がある。
もちろん、一概にお釈迦様と同列に語ることは出来ないが、
ここに奇妙な悟りに関する「符牒」が見られる。
いわゆる、徳山もまた、
師(龍潭和尚)の掲げる提灯の火が吹き消されるを俟って、
慢心の有象無象が、一遍に吹っ飛んでしまったのである。
話に依れば、翌日の師の上堂に、
次のような、えらく立派な言葉を残している。
( まるで、昨夜までの意気消沈が嘘でもあったかのように・・・ )
――― 「諸(もろもろ)の玄弁(げんべん)を窮(きわ)むるも、
一毫(いちごう)を太虚(たいきょ)に致(お)くが若(ごと)く、
世の枢機(すうき)を竭(つく)すも一滴を巨壑(こがく)に
投ずるに似たり」・・・と。
そして、
それまで後生大事に持っていた 『金剛経』 の疏抄を焼き捨て、
深く礼を言って山を去ったと言う。
(『無門関』二十八「久嚮龍潭」 参照 )
12月8日 ≪成道会≫ はれ
今日は、「成道会」 である。
お釈迦様が、「悟り」 を開かれた日である。
明けの明星が消えるのを見て開悟されたと言う。
なにぶん昔のことゆえ、
どのような状況だったか、真偽のほどは定かではない。
その多くを文献(文字)に頼るほかない。
これと良く似た話に、
棒で名高い徳山の省悟がある。
もちろん、一概にお釈迦様と同列に語ることは出来ないが、
ここに奇妙な悟りに関する「符牒」が見られる。
いわゆる、徳山もまた、
師(龍潭和尚)の掲げる提灯の火が吹き消されるを俟って、
慢心の有象無象が、一遍に吹っ飛んでしまったのである。
話に依れば、翌日の師の上堂に、
次のような、えらく立派な言葉を残している。
( まるで、昨夜までの意気消沈が嘘でもあったかのように・・・ )
――― 「諸(もろもろ)の玄弁(げんべん)を窮(きわ)むるも、
一毫(いちごう)を太虚(たいきょ)に致(お)くが若(ごと)く、
世の枢機(すうき)を竭(つく)すも一滴を巨壑(こがく)に
投ずるに似たり」・・・と。
そして、
それまで後生大事に持っていた 『金剛経』 の疏抄を焼き捨て、
深く礼を言って山を去ったと言う。
(『無門関』二十八「久嚮龍潭」 参照 )