≪何してんのん≫ 所収
   


   ≪嫌になれば嫌になる≫


   ――― この自同律に出会う度に、

   人の出会いとは、何とも不思議なご縁だと思う。


   
   問題にすりゃ、何だって問題になるし、

   引っ掛かれば、なんにだって引っ掛かってしまう。

   たとえば、箸の上げ下げから、

   飯の食い方、茶のすすり方まで、

   気にすりゃ、何だって気になるものだ。

   
   あれほど、日に日を継いで、

   好きじゃ嫌いじゃと言って置きながら、

   いったい、

   あの好き嫌いは、何処に消えてしまったのだ。


   迷悟とて同じこと、

   迷っては、泣き暮らし、

   悟ったと言っては、ふんぞり返って、

   引っくり返ったり、のけぞったりと、

   忙しい日々を繰り返して来たにも拘わらず、

   当の迷悟など、どこをどう探しても

   有りゃしないのだ。


   
   ≪ 母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ?

    ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

    谷底へ落とした、あの麦稈帽子ですよ。≫ *


    * 西条八十 「ぼくの帽子」 より


   
   ・・・ そして、如何せん

   問題にしなきゃならないところを問題にしないで、

   アッケなく大事を見逃してしまうのだ。