≪何言うてんねん≫ 所収
   


   ・・・ それにしても、趙州和尚のそっけなさ、

   取り付く島のなさはどうしたものだろう。


   
   ≪趙州洗鉢≫


   趙州、因(ちな)みに僧問う、

   「某甲(それがし)、乍入叢林(さにゅうそうりん)。 *

   乞う、指示したまえ」。


   * 新米(新入り)の修行僧


   州云く、

   「喫粥(きっしゅく)し了(おわ)るや、未だしや」。


   僧云く、

   「喫粥し了れり」。


   州云く、

   「鉢盂(はつう)を洗い去れ」。


   其の僧、 省有り。



   ここにも、至極「当たり前」の事柄が述べられている。

   あれこれ言葉(論理/葛藤)を費やすのではなく、

   まるで 「糞をしたら尻を拭け」 と言わんばかりに ・・・


   <めしを食ったら茶碗を洗え>

   いったい、この単純明快な当たり前さのなかに、

   如何ほどの真理が含まれていると言うのだろう。

   少なくともこの新参者には、自らに顧みて、

   何らかの思い当たるふしが有ったに違いない。


   例によって、無門(慧開)さん、

   単純には、これで終わらせない。

   
   ――― YAYA、この新参、

   鐘を聞いて甕と間違い、

   金を見て鉄と取り違えたワイ・・・と。


   どこまでも、セオリー化やマニュアル化を許さぬ

   潔癖症の仏眼禅師(無門慧開)と見える。


   ≪さらに励めよ、三二十年≫ と。



      
        ( 岩波文庫 『無門関』七「趙州洗鉢」参照 )