≪何言うとんねん≫ 所収
≪絶対知≫
これを体用論に置き換えると、次のように成る。
≪体即用、用即体≫ (体用不二) と。
――― この場合の体とは、存在の有無に拘わらず、
体、善く <真空> (絶対平衡場) なるがゆえに
<無体の体> (実体なく実相なき体) を現わす。
従って、用もまた <無用の用> (無為の為)を現わす。
体は用に異ならず、
用は体に異ならず。
( 体に即するの用、用に即するの体 )
すなわち、
体ある所に用があり、
用ある所に体がある。
したがって、
体なき所に用はなく、
用なき所に体はない。
ゆえに、
体なき用はなく、
用なき体も又ない、と。
≪体即用≫
是れが、≪「真諦」(法身)即 「俗諦」(応身/化身)≫ であり、
≪真諦即仮諦≫ (真仮不二) と称される所以である。
善く、真空の自律的で自発的な対称性の破れを起して、
一切時一切処に、
≪真空の相転移≫ (転法輪) するのであるから。
≪絶対知≫
これを体用論に置き換えると、次のように成る。
≪体即用、用即体≫ (体用不二) と。
――― この場合の体とは、存在の有無に拘わらず、
体、善く <真空> (絶対平衡場) なるがゆえに
<無体の体> (実体なく実相なき体) を現わす。
従って、用もまた <無用の用> (無為の為)を現わす。
体は用に異ならず、
用は体に異ならず。
( 体に即するの用、用に即するの体 )
すなわち、
体ある所に用があり、
用ある所に体がある。
したがって、
体なき所に用はなく、
用なき所に体はない。
ゆえに、
体なき用はなく、
用なき体も又ない、と。
≪体即用≫
是れが、≪「真諦」(法身)即 「俗諦」(応身/化身)≫ であり、
≪真諦即仮諦≫ (真仮不二) と称される所以である。
善く、真空の自律的で自発的な対称性の破れを起して、
一切時一切処に、
≪真空の相転移≫ (転法輪) するのであるから。