≪何してんのん≫ 所収
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ (西行法師)
西行と言う人は、歌人としてばかりでなく、
やはり、本来的に僧侶(出家)としても
傑出した一級の人だったのではないかと ・・・
ここに詠み込まれているのは、
哀愁ただよう抒情歌でも叙事詩でもなく、
一種の <宗教歌> ではなかったのかと、
勝手な想像をふくらませています。
言わば、脱・宗教的なフロントとも言える
<真を求めず、妄を除かず> を、
一期に体現した一首ではないのか・・と。
おろかにも、それだけでは懲りずに、
西行法師のモジリともパロディとも言える
つぎのような歌が思い浮かびました。
心なき身にもあはれは知られけり
思議(識?)立つ沢の秋の夕暮れ
つまり、
≪ 応無所住 而生其心 ≫ (金剛般若経)
「応(まさ)に住する所なくして、其の心を生ずべし」 と。
肌寒い秋の夕暮れのなかで ・・・。 (偶成)
心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ (西行法師)
西行と言う人は、歌人としてばかりでなく、
やはり、本来的に僧侶(出家)としても
傑出した一級の人だったのではないかと ・・・
ここに詠み込まれているのは、
哀愁ただよう抒情歌でも叙事詩でもなく、
一種の <宗教歌> ではなかったのかと、
勝手な想像をふくらませています。
言わば、脱・宗教的なフロントとも言える
<真を求めず、妄を除かず> を、
一期に体現した一首ではないのか・・と。
おろかにも、それだけでは懲りずに、
西行法師のモジリともパロディとも言える
つぎのような歌が思い浮かびました。
心なき身にもあはれは知られけり
思議(識?)立つ沢の秋の夕暮れ
つまり、
≪ 応無所住 而生其心 ≫ (金剛般若経)
「応(まさ)に住する所なくして、其の心を生ずべし」 と。
肌寒い秋の夕暮れのなかで ・・・。 (偶成)