≪何言うてんねん≫ 所収
   


    従来不失、         従来失せず、

    何用追尋。         何ぞ追尋を用いん。

    由背覚以成疎、      背覚に由って以て疎と成り、

    在向塵而遂失。      向塵に在って遂に失す。

    家山漸遠、         家山漸(ますま)す遠く、

    岐路俄差。         岐路俄(にわ)かに差(たが)う。

    得失熾然、         得失熾然(しねん)として、

    是非蜂起。         是非蜂起す。


          
               ( 廓庵 『十牛図』 「尋牛」序の一 参照 )



   
   ≪従来失せず≫ 

   これが、『至道無難』 である。

   
   解る者には、これで解る。

   ――― すなわち、修行の <終わり> である。  (卒業)

   
   
   いわゆる、「無生法忍」であり、「不生(従来不失)の仏心」である。

   <何ぞ追尋を用いん> である。

   <更に修持を仮らず> (香厳) と言うも同じである。


   
   至道は無難であり、従来不失だと言うのである。

   禅に限らず、仏教はすべてこの 『無生法忍』 を以って

   修行(求道/往相/覚行)の成就としている。   (求道者の道)


   ――― 以後、「慈悲」 (自利利他/入鄽垂手) に赴く

   「究竟方便」 (仏向上の事/還相回向/信行) と成る。   (成就者の道)


   
   <背覚に由って以て疎と成り> とは、

   逆観するに由って ≪宗≫ (本覚/自己本来の面目) に背(そむ)くを言い、

   <向塵に在って遂に失す> とは、

   順観するに由って ≪理≫ (始覚/判断/認識) に迷うを言う。

   <俄かに得失是非、熾然として蜂起す> と言われる通りである。



   しかも私達が、従来の 「習気」(じっけ) と呼ばれる

   最後決定的で執念深い <習熟化され習慣化された業(カルマ)>

   ――― すなわち、今日、生物学や生理学で言われる

   「ホメオスタシスの原理」 * にもとづく「快・不快の原則」 とも言える

   ≪取捨愛憎の念≫ (好嫌の情) と ≪分別的(反応的)自我≫ とが、

   根っこの所でシンクロ(自己同一化)している為に、

   アレコレ算段(取捨選択)し、好き嫌いや損得や有利不利と言った

   <向う・背く> に振り分けられ、振り回されるのである。

   
   ゆえに、≪順逆(向背)を存すること莫れ≫ と。  


   * ホメオスタシスの原理: 生体(恒常性)維持機能、或は、生体バランスを司る機能。 

    ――― (自己同一性を維持し保管する機構) **

   
   **「正帰還」(ポジティブ・フィードバック)と「負帰還」(ネガティブ・フィードバック)

    と言う、「順逆(向背)機能」を兼ね備えたサイバネティック機構   (平衡化機能/機構)



   ――― すなわち、

   ≪それ法の為にする者は喪身失命を避けず≫ と言われ、

   あるいは、≪わずかに有無に渉れば、喪身失命せん≫

   と言われる如くに。

   
   これが、『至道無難』 (一) のおおよその大意である。