≪何言うてんねん≫ 所収
≪ 意識を意識する人 ≫
――― 君にアダなす光(順観)と影(逆観)とに於いて
この時、人は自己内外する <順・逆観する> 意識の網に捕えられて、
「意識するもの」(ノエシス)と「意識されるもの」(ノエマ)とに
自己対称化(主観化)しつつ、自己対称化(客観化)されている。 *
* 「自分の目」(順観/意識)と「世間(他者)の目」(逆観/自意識)
――― 自己矛盾・自己葛藤・自己分裂 (人間の根源的苦悩/迷妄)
しかも、唯一する不可分な実存する自己(主体)として、
――― 言わば、逃げようのない閉ざされた出口なき自己として、
見事なまでに「自己撞着化」しつつ、
「自己矛盾化」(主・客観化)されている。 *
* この延長線上に「観念論」(精神)と「唯物論」(存在)の相交わらぬ相克が見える。
このような <堂々めぐり> とも言える
自己撞着的な「循環論理」に巻き込まれば、
人は、「主体」でありつつ「客体」であり、
「主観化」しつつも「客観化」されると言う、
決して折り合うことの無い、
極めて厄介な 『自己ジレンマ』 (絶対矛盾的自己同一) に見舞われる。
私は、是れを 『自己トリック』 (或は『自同律の罠』) と呼び、
荷電反転である 『C(Charge)対称性の破れ』
或は、<C反転の妙> と呼んでいる。 (主体の転換)
このような自己撞着的で自縛的(自閉的?)な、
ニッチもサッチも行かない処から
どのようにして「解脱」(脱却)するのか・・・、
これが、当面する <意識する人> の主要な問題であり、
此処での主要なテーマでも有ったのである。
≪ 意識を意識する人 ≫
――― 君にアダなす光(順観)と影(逆観)とに於いて
この時、人は自己内外する <順・逆観する> 意識の網に捕えられて、
「意識するもの」(ノエシス)と「意識されるもの」(ノエマ)とに
自己対称化(主観化)しつつ、自己対称化(客観化)されている。 *
* 「自分の目」(順観/意識)と「世間(他者)の目」(逆観/自意識)
――― 自己矛盾・自己葛藤・自己分裂 (人間の根源的苦悩/迷妄)
しかも、唯一する不可分な実存する自己(主体)として、
――― 言わば、逃げようのない閉ざされた出口なき自己として、
見事なまでに「自己撞着化」しつつ、
「自己矛盾化」(主・客観化)されている。 *
* この延長線上に「観念論」(精神)と「唯物論」(存在)の相交わらぬ相克が見える。
このような <堂々めぐり> とも言える
自己撞着的な「循環論理」に巻き込まれば、
人は、「主体」でありつつ「客体」であり、
「主観化」しつつも「客観化」されると言う、
決して折り合うことの無い、
極めて厄介な 『自己ジレンマ』 (絶対矛盾的自己同一) に見舞われる。
私は、是れを 『自己トリック』 (或は『自同律の罠』) と呼び、
荷電反転である 『C(Charge)対称性の破れ』
或は、<C反転の妙> と呼んでいる。 (主体の転換)
このような自己撞着的で自縛的(自閉的?)な、
ニッチもサッチも行かない処から
どのようにして「解脱」(脱却)するのか・・・、
これが、当面する <意識する人> の主要な問題であり、
此処での主要なテーマでも有ったのである。