≪何言うてんねん≫ 所収
   


   ――― おそらく、わたしが何をどう記述し規定しようと、

   「場のふるまい」は、場の生成(開闢/成就)以来の因縁として、

   今も尚、何一つ変わっていないような気がする。


   すべて確かめた訳じゃないので、はっきりしたことは言えないが、

   どうも「場のふるまい」は、古今東西、老若男女も含めて、

   太古以来、何一つ変化もなければ、進化も発展もしていないと言うのが、

   このところの私を捉えてはなさない。


   大局的に見れば、あらゆる各場のゲージ変換に対して、

   一向に物理法則は <不変である> と言う点に於いて、

   同様に、局所的な時空の各点でゲージ変換を行っても、

   「場の対称性(ふるまい)」 と言う点では、

   一向に何一つ変わらないと言う「ゲージ不変性」に於いても、

   そうなのである。


   たとえば、わたしが「場の温度」を測るにしても

   「場の湿度」を測るにしても、

   あるいは、「過去」を思いやり「未来」を夢想するにしても、

   ( その他諸々を観測し観想するにしても・・・ )、

   「場の対称性(ふるまい)」 と言う点では、

   一向に同じ「場の対称性(ふるまい)」の内に有る、

   ( 勿論、「場の対称性の破れ」を含んで ) と言うのが、

   わたしの関心の的と成っている。


   同様に、場の対称性を構成する「CPT変換」に対しても、

   各場的な様相は、その都度変移し変容するとしても、

   「場の対称性(ふるまい)」 と言う点に於いては、

   基本的に何一つ変わらない(不変)と言うのが、

   生々流転し、諸行無常する世界(~でない)に在って、

   唯一する <変わらないもの>(~である) ではないか、

   と観じ始めている。


   ――― 君にアダなす光(順観)と影(逆観)とに於いて