書庫:≪何言うてんねん≫ 所収
有ることを証明すること以上に、無いことを証明することは
ほとんど不可能に近い。 (悪魔の証明)
簡単に言えば、1(有る)を証明することの不可能性以上に、
0(無い)を証明することの絶対的な不可能性がこれである。
くわえて、仮にこれらの証明(である)に成功したとしても、
1は1であるに過ぎず、0は0であるに過ぎない。
( だからどうなの・・・ってカンジ? )
つまり、1が1(である)ことの証明(である)に成功し得たとしても、
0が0(でない)であることの証明(である)は、論理的に破綻している。
「でない」ことの証明に「である形式」を用いて成功(である)した
としても、それは「でない」ことの証明ではなく、
「である」ことの形式的表明 ――― すなわち破綻(論理的破綻)
を証明しているに過ぎない。
さらに言えば、この世の無常(でない)を知りつつ、
この世の存在(である)を定立、もしくは証明することは、
自己矛盾であるばかりでなく、いや応の無い自己欺瞞に
晒される。
有ることを証明すること以上に、無いことを証明することは
ほとんど不可能に近い。 (悪魔の証明)
簡単に言えば、1(有る)を証明することの不可能性以上に、
0(無い)を証明することの絶対的な不可能性がこれである。
くわえて、仮にこれらの証明(である)に成功したとしても、
1は1であるに過ぎず、0は0であるに過ぎない。
( だからどうなの・・・ってカンジ? )
つまり、1が1(である)ことの証明(である)に成功し得たとしても、
0が0(でない)であることの証明(である)は、論理的に破綻している。
「でない」ことの証明に「である形式」を用いて成功(である)した
としても、それは「でない」ことの証明ではなく、
「である」ことの形式的表明 ――― すなわち破綻(論理的破綻)
を証明しているに過ぎない。
さらに言えば、この世の無常(でない)を知りつつ、
この世の存在(である)を定立、もしくは証明することは、
自己矛盾であるばかりでなく、いや応の無い自己欺瞞に
晒される。