≪愛のフロント頃 所収

   

   ――― 午後から夏の陽射しが戻って来ました。

   漸く、梅雨も明けそうです。



   「西天の柏樹子」 (脱落底/実相)

   善く、転機を得て、

   「東天の観音子」 (現成底/機関)

   と、なり給う。


   ( 朝に東天に昇り、暮に西土に帰る )




   『碧巌録』 第四四則 「禾山解打鼓」


   【本則】

   
   挙す。

   禾山垂語して云く、

   「習学、之を聞 (もん) 謂い、絶学、之を隣 (りん) と謂う。

   此の二つを過ぐる者、是れを真過 (しんか) と為す」。

   
   僧出でて問う、

   「如何なるか是れ真過」。


   山云く、

   「解 (よ) く鼓 (く) を打つ」。


   又た問う、

   「如何なるか是れ真諦」。


   山云く、

   「解く鼓を打つ」。


   又た問う、

   「即心即佛は即ち問わず、如何なるか是れ非心非佛」。


   山云く、

   「解く鼓を打つ」。


   又た問う、

   「向上の人来たる時、如何にか接する」。


   山云く、

   「解く鼓を打つ」、と。       (禾山の四打鼓)



   
   ――― 是の人、善く 「能」 (転処) を知るがゆえに

   < 喫茶去 > * し給える。


   * 食っちゃ垂れ・食っちゃ垂れ。 (只管当為)


   
   ちなみに、私は、

   習学、之を 「格物」 (声聞) と為し、

   絶学、之を 「物格」 (即心即佛) と為し、

   此の二つを過ぐる者を、 「脱格」 (非心非佛) と呼んでいる。


   
   是れ、「佛向上の事」 にして、

   < 後園の驢草を喫す >  と言うべし。