≪愛のフロント頃 所収

   


   『無影燈』


   ≪ 海月既に影無し、游魚何ぞ迷うことを得ん ≫



   師 (臨済) 鳳林に到る。

   
   ( 汝、何処よりか来たる )


   
   林問う、

   事有り、相借問 (しゃくもん) し得てん麼 (や)。

   
   ( そら来た!!)  早やすれ違い了れり。


   
   師云く、

   何ぞ肉を剜 (えぐ) って瘡 (きず) と作 (な) すことを得ん。

   
   ( 自ら墓穴を掘って何とす )  泥裏に土塊を洗う。


   
   林云く、

   海月澄んで影無く、游魚 (ゆうぎょ) 独り自ら迷う。

   
   ( 元来、東西なし。いわんや南北をや )  

   見上げれば、元是れ住居の西。


   
   師云く、

   海月既に影無し、游魚何ぞ迷うことを得ん。

   
   ( 羅針盤、北斗を指す )  

   十二面観音、悉く南面 (正面) す。


   
   鳳林云く、

   風を観て波の起るを知り、水を翫 (もてあそ) べば野帆飄 (ひるがえ) る。

   
   ( 同病、相憐れむ。)   即心是仏。


   
   師云く、

   孤輪独り照して江山静かに、自ら笑う一声天地驚く。

   
   ( 巨霊手を擡ぐるに多子無し )  分破す華山の千万重。


   
   林云く、

   任 (たと) い三寸を将 (もっ) て天地を輝かすも、

   一句機に臨んで試みに道え、看ん。

   
   ( 頭隠して尻隠さず )  再犯を許さず。


   
   師云く、

   路に剣客に逢わば須らく剣を呈すべし、

   是れ詩人にあらずんば詩を献ずること莫れ。

   
   ( 腹が減れば飯を、のどが渇けば水を )  

   ――― 然らずんば、喫茶去。


   
   鳳林便ち休す。


   師乃ち頌 (じゅ) 有り、

   大道、同を絶す、西東に向うに任す、

   石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔 (な) し。


           
                 (『臨済録』行録一九 参照 )