書庫:≪愛のフロント喉 所収

   

   ――― 良くなる筈のPC環境が、イマイチ冴えません。

   外は終日雨、どうやら梅雨入りしたようです。



   さて、此処に来て今更ながら 『臨済の四料揀』 に出会う。

   此処からは、道元禅師に軽く一蹴された「機法一体(一如)」する

   禅的「方便」について、臨済禅の枢機とも言うべき「臨済の四料揀」

   を足掛りに、とくに「体と用」(体に即するの用、用に即するの体)の

   問題を扱って見ようと思う。

   

   此処では従来する認識論的な主客観的解釈を一時離れて、

   棒喝に順ずる体用(機関/方便)の面から、

   その絶対主体的立場(随処作主)を扱ってみることとする。



   
   如何なるか 『奪人不奪境』 

   
   ――― 「殺人刀」  (従前の活路頭を滅却せん)


   
   如何なるか 『奪境不奪人』 


   ――― 「活人剣」  (従前の死路頭を活却せん)


   
   これ、普化禅師が風規にして、「明頭来や明頭打」

   「暗頭来や暗頭打」 と説く。



   然らば 『人境倶奪』 の時、如何。


   ――― これ「無仏の処」。  (身心脱落)


   
   猶、虚空裏に出身の路有りと言えども、

   普化に在っては「虚空来や連架打」。



   然らば 『人境倶不奪』 の時、如何。 


   ――― これ「有仏の処」。  (脱落身心)


   
   応答、商量、これ(方便)有りと言えども、

   普化に到っては「四方八面来や旋風打」

   何とも、手の着けようが無い。 *


   * 彼(普化)は、この言語ゲーム論的な「絶対否定」の果てに、
    一体何を見、何を言わんとするのか ・ ・ ・。



   由って言うべし。

   「有仏の処遨遊することを用いず、無仏の処急に走過すべし」 と。 

   ましてや、「有無に渡れば喪身失命避けられず」 * と。


    * 「解脱の陥穽」 (相対二見に落ちること)



   ――― 趙州の露刃剣、寒霜光焰々、

   更に擬して如何と問わば、分身して両段と作さん。  (五祖録)