≪愛のフロント権 所収



   『佛向上の事』 (1)


   愈々、厄介なヤマ場に差し掛かって来ました。

   ――― 長い引用となりますが、いま少し続けます。



   劉鉄磨は久参にして、機鋒峭峻なり。

   人号して劉鉄磨と為す。

   ?蕃山を去ること十里に庵を卓(た)つ。

   一日去(ゆ)きて?蕃山を訪(と)う。

   
   山、来たるを見て便ち云く、

   「老?歩牛、汝来たれり」。

   
   磨云く、

   「来日、台山に大会斎あり、和尚還た去くや」 と。

   
   ?蕃山 身を放って便ち臥す。

   
   磨 便ち出で去る。



   ?胃(なんじ)看よ、

   他(かれ)一(ひとえ)に説話(かたる)が如くに相似たり。

   且つ ≪ 是れ禅にあらず、又た是れ道にあらず。≫

   喚んで無事の会(え)と作(な)すは得(よろ)しきや。



   ?蕃山は台山を去ること自(もと)より数千里を隔つ。

   劉鉄磨什麼(なに)に因(よ)ってか

   却(かえ)って?蕃山をして斎(とき)に去かしめんとする。

   且(しばら)く 道(い)え、意旨如何。



   這(こ)の老婆 他(か)の?蕃山の説話(いう)を会して、

   糸来線去、一放一収、互相(たが)いに酬唱す。

   両鏡相照して、影像の観るべき無きが如し。

   機機相副(かな)い、句句相投ず。

   如今の人三搭(さんとう) * すれども頭を廻(めぐら)さず。

    
   * 『無門関』十七「国師三喚」 参照。



   這の老婆一点也(いささかも)他を瞞(あなど)り得ず。

   這箇(これ)却って是れ世諦(せたい)の情見にあらず。

   明鏡の台に当り、明珠の掌(たなごころ)に在るが如し。

   胡来たれば胡現(うつ)り、漢来たれば漢現(うつ)る。

   是れ 他(かれ) ≪ 向上の事 ≫ 有るを知る、

   所以(ゆえ)に此の如し。

   如今(の人は)只管(ひたすら)無事の会を做(な)すのみ。  (括弧、筆者)



              (『碧巌録』第二四則「劉鉄磨台山」 岩波文庫 参照 )



   
   此処に於いて「超宗越格」とも言うべき 『佛向上の事』 が語られる。

   言うところの、「殺佛殺祖」の境涯 (真正の見解) が是れである。