≪愛のフロント窟 所収



   ≪覿面に 「真実」 (真如実相) を諦め、見届けた者からすれば、

   この世の森羅万象が、悉く 「真言ならざるはなし」 と了悟され、

   「妙法一色 花盛り」 と決信されている。≫

  
   ――― ≪尽十方世界、是れ真実身体(法身)≫ と。



   
   しかも、此処では、

   自ら為す一念一念から、一言一句、一挙手一投足に到るまで

   悉く、<自行如来行> (自業如来業) と覚悟され、

   喜怒哀楽はおろか、四苦八苦の一切までもが、

   「有り難いもの」 或は、「有り得ぬもの」 と受持され、

   是認 (全肯定) されている。   (如来しつつ如去するもの)



   ――― これが、「法華に転じられる存在(もの)」 から

   「法華を転じる者(ひと)」 への主体的転換 (転智得識) * であり、

   『慈悲門』 とも呼ばれる 「還相回向の法門」 (佛向上の事) である。

  
   * わたしは、この回心を 「自領分の了悟」 と呼んでいる。
     別途、「会通の分限(者)」 とも。   (了事の凡夫)
     
     これまでの文脈に従えば、「愛されるもの」 から
    「愛する者」 への 「主体的転換」 (回心/転智得識) である。