≪愛のフロント窟 所収
≪ 我、妄想を除かず、真を求めず ≫
(『証道歌』 参照)
『現世の亡霊』 とは、何だか穏やかならぬ言葉だが、
人が、「自己本尊」とも言うべき「自己本来の面目」(霊位)を見失っている
と言う意味では、「亡霊」 と呼ばれても仕方ないのかも知れぬ。
要は、人が亡霊の如く悩んだり苦しんだり、迷ったりしているのは、
「いまここ」 (現世/現在)なのだし、
何よりも、他ならぬ 「当人自身」 だと言うことなのだ。
俺達が、今此処(現世)でしか悩みも迷いも出来ないことは、
ある意味、「有り難い」(有り得ない)ことなのだ。
そして、今此処以外には、
つまり、昨日(過去)や明日(未来)には、
悩みも迷いも出来ないことは知って置くに値する。
そもそも、「過去」や「未来」と言ったものが
あなたの頭の中(意識)にだけ有って、
「何処にも実在しない」と言うこと、
――― つまり、真に実在するのは、「今此処(現世)でしかない」
と言うのが、ここでの主旨であり、
「永遠の現在」(とわの春) の意味なのだ。
( ・・・ 在るのは、今だけだ!! )
我々人間は 「永遠の現在」 の中に在って、
過去と現在と未来とを (即ち、今此処と言う「時空」を) 通観しているのであって、
これこそが、人間の人間たる由縁とも言える
「意識する人」の本領と言える。 (物思いする人)
≪ 我、妄想を除かず、真を求めず ≫
(『証道歌』 参照)
『現世の亡霊』 とは、何だか穏やかならぬ言葉だが、
人が、「自己本尊」とも言うべき「自己本来の面目」(霊位)を見失っている
と言う意味では、「亡霊」 と呼ばれても仕方ないのかも知れぬ。
要は、人が亡霊の如く悩んだり苦しんだり、迷ったりしているのは、
「いまここ」 (現世/現在)なのだし、
何よりも、他ならぬ 「当人自身」 だと言うことなのだ。
俺達が、今此処(現世)でしか悩みも迷いも出来ないことは、
ある意味、「有り難い」(有り得ない)ことなのだ。
そして、今此処以外には、
つまり、昨日(過去)や明日(未来)には、
悩みも迷いも出来ないことは知って置くに値する。
そもそも、「過去」や「未来」と言ったものが
あなたの頭の中(意識)にだけ有って、
「何処にも実在しない」と言うこと、
――― つまり、真に実在するのは、「今此処(現世)でしかない」
と言うのが、ここでの主旨であり、
「永遠の現在」(とわの春) の意味なのだ。
( ・・・ 在るのは、今だけだ!! )
我々人間は 「永遠の現在」 の中に在って、
過去と現在と未来とを (即ち、今此処と言う「時空」を) 通観しているのであって、
これこそが、人間の人間たる由縁とも言える
「意識する人」の本領と言える。 (物思いする人)