平成18年10月25日(水)       ≪どないやねん侠 所収

 

 私は、(ひょっとすると) 単体としての共同幻想論的「ユニット」を

 語っているのかも知れない。

 
 ( ・・・ その連関しつつ連動する世間の「しがらみ」と言うやつを )


 今一方で、全体に巻き込まれ埋没しつつある個の「自律自戒性の目覚め」を

 示唆しているのかも知れない。

 
 ( この微妙なバランスの上に成立する縦横する二方向の「方途」を。)



 限りなくスポイルされながら、全体に迎合しつつ埋没する個と、

 個の内に全体を許容(内容/内抱)しつつ自律する 『自存者』 (それ自らに依りて在る者)

 としての個との、抜き差しならぬ 『運命の別れ』 を。 (主賓の分れ)

 
 ( 私たちは今、その分岐点に立ち会っているのかも知れない。)


 もしそうだとすれば、私たちは「自律性」(オートノミー)と

 「他律性」(ヘテロノミー)と言った従来する二律背反を超えて、

 今此処に、いずれにも合わせることも合わせないことも出来る、

 ――― すなわち、自己主体的に関わることのできる、
 
 一人の自立した人間として、観自在な 『先験的自明性』 の内に立っている。