平成18年9月27日(水)       ≪どないやねん≫ 所収


 ――― たとえば今此処に、「さとり」 を自覚し、或は 「神」 (もしくは「虚無」) を
 自覚する人がいるとして、この人が相変わらず、それをそれとして 「さとり」 を意識し、
 或は 「神」 を意識し、「虚無」 を意識している限り、この人は 「それ(it)を意識する人」 として
 ただ単に 『意識する人』 でしかありません。 (有相の人)


 わたしが言いたいのは、こうです。
 人が 「運命」 (或は「宿命」) を、それ (it) として意識している限り、
 それは「運命」でも「宿命」でもなく、単に 「運命(或は宿命)を意識している人だ」
 と、言うことなのです。


 たとえば、多少不謹慎な言い方になるかと思いますが、
 ここに避けがたく運命の 「死」 を意識する人がいるとして、その側で、これまた
 避けがたく 「彼女(彼?)への思い」 を意識し続ける人がいるとして、
 この二人は、一体どれほどの「差異」をもって現在すると言うのでしょう。


 早い話、何も変りゃしないのです。
 一方は、「死」(運命)を意識し、今一方は、「彼女への飽くなき思い」を意識して、
 共に切実で有るとしても、意識の随意で任意な、その意味ではランダムな 『意識の人』 として、
 今も尚、それぞれの 『運命の内』 に有るのです。


 続きは、次回にします。