平成18年9月24日(日) ≪どないやねん≫ 所収
もしあなたが、大いなる生成の不可避で不可抗な絶対不可逆的事態を了解し
納得するなら、あなたは、あなたを含む生成の全体的な「越し方行く末」に
尚「抵抗」を持って、あたかもドンキホーテのように、これに「対抗し」
これを迎え撃とうと身構えるでしょうか。
おそらく、あなたは臆病ではなく「そうすることを止める」でしょう。
そして少なくとも、そうすること(相対し抵抗すること)を止めることの中で、
尚「思考停止」に陥ることなく、自らの「為すべきこと」と「為さざるべきこと」を
(即ち「何をなすべきか」を)見定めるに違い有りません。
我々の住む日本では、時代は必ずしも切迫している訳ではなく、風雲急を告げている訳でも
有りませんが、先の「震災」や「大戦」のような切迫した事態が、何時やって来るとも限りません。
またそんな大層なことでなくても、個人的な運命を左右するような事件や事故、或は問題に
いつ直面するとも限りません。
その時に成って、尚「運命に逆らっても仕方ない」と、上述した諦念(あきらめ)の内に
眠り込み、自らの「越し方行く末」を他人事のように眺めて居られるでしょうか。
つまり、かっての大戦時に各階各層に渡る上層部や指導者、或は教育者や宗教家までも含む
ほとんどの者らがそうであったように、時流に乗り時代に従って「思考停止状態」のまま、
「それいけドンドン」を繰り返すのだとしたら、この国は相変わらず 『追従と迎合の国』
として、多くの若者たちを「シカバネ」と化し、平然と無責任で無反省なまま、
このブレーキの利かない危険な車に乗りつづける事となるのです。
――― 続きは、次回に譲ります。
もしあなたが、大いなる生成の不可避で不可抗な絶対不可逆的事態を了解し
納得するなら、あなたは、あなたを含む生成の全体的な「越し方行く末」に
尚「抵抗」を持って、あたかもドンキホーテのように、これに「対抗し」
これを迎え撃とうと身構えるでしょうか。
おそらく、あなたは臆病ではなく「そうすることを止める」でしょう。
そして少なくとも、そうすること(相対し抵抗すること)を止めることの中で、
尚「思考停止」に陥ることなく、自らの「為すべきこと」と「為さざるべきこと」を
(即ち「何をなすべきか」を)見定めるに違い有りません。
我々の住む日本では、時代は必ずしも切迫している訳ではなく、風雲急を告げている訳でも
有りませんが、先の「震災」や「大戦」のような切迫した事態が、何時やって来るとも限りません。
またそんな大層なことでなくても、個人的な運命を左右するような事件や事故、或は問題に
いつ直面するとも限りません。
その時に成って、尚「運命に逆らっても仕方ない」と、上述した諦念(あきらめ)の内に
眠り込み、自らの「越し方行く末」を他人事のように眺めて居られるでしょうか。
つまり、かっての大戦時に各階各層に渡る上層部や指導者、或は教育者や宗教家までも含む
ほとんどの者らがそうであったように、時流に乗り時代に従って「思考停止状態」のまま、
「それいけドンドン」を繰り返すのだとしたら、この国は相変わらず 『追従と迎合の国』
として、多くの若者たちを「シカバネ」と化し、平然と無責任で無反省なまま、
このブレーキの利かない危険な車に乗りつづける事となるのです。
――― 続きは、次回に譲ります。