平成18年8月18日(金) ≪とわずがたり≫ 所収
≪ ヴィトゲンシュタインのパラドックス ≫
――― ヴィトゲンシュタインのパラドックスの恐ろしさは、こうであった。
即ち、「あらゆる言語ゲーム論的規矩や規則 (意図や作為を含む) は、
行為の仕方を決定できない。 なぜなら、いかなる行為の仕方も
その言葉では括れない (縛れない) から」 と。 (丸括弧内 筆者)
これが、世界最強の哲学と呼ばれる 『哲学の終焉』 の
ひかえめな宣明であると共に、
行為に先行する一切のマニュアルやセオリーの暫定性、
及び、思惟や思考の (すなわち「意識の運動」) の法則と呼ばれる
言語ゲーム論的ロジックやパラダイムの仮構性 (あとづけ先行) を暴くと共に、
今此処に実存し実在する人間の、
ア・プリオリな 「行為の自由」 の宣言でもあったのである。
しかしこれ以降、「行為的縛り」 を解かれた人間は、
皮肉にも開け放たれた 「パンドラの箱」 を前に、
益々、「行為の仕方を決定できない人々の群れ」 として、
そのとめどない妄想と際限のない勝手気ままな思いとに悩まされ、
何時果てるとも知れぬランダムな 「意識の波」 に呑み込まれて
しまったのである。
< 事象=世界は、未だ一向に事象=世界のままだと言うのに >
彼 (後期ヴィトゲンシュタイン) が、
≪ 規則は行為の仕方を決定できない ≫ と闡明したにも拘わらず、
尚、 「埒」 と 「不埒」 とのあいだを彷徨う 「魂の放浪者」 となって、
日々の 「繰り返し」 に浮き沈みするのである。
< あなたがそう思うかぎりそうでしかない >
――― ここでは、わたしも又、同道同犯者である。
≪ ヴィトゲンシュタインのパラドックス ≫
――― ヴィトゲンシュタインのパラドックスの恐ろしさは、こうであった。
即ち、「あらゆる言語ゲーム論的規矩や規則 (意図や作為を含む) は、
行為の仕方を決定できない。 なぜなら、いかなる行為の仕方も
その言葉では括れない (縛れない) から」 と。 (丸括弧内 筆者)
これが、世界最強の哲学と呼ばれる 『哲学の終焉』 の
ひかえめな宣明であると共に、
行為に先行する一切のマニュアルやセオリーの暫定性、
及び、思惟や思考の (すなわち「意識の運動」) の法則と呼ばれる
言語ゲーム論的ロジックやパラダイムの仮構性 (あとづけ先行) を暴くと共に、
今此処に実存し実在する人間の、
ア・プリオリな 「行為の自由」 の宣言でもあったのである。
しかしこれ以降、「行為的縛り」 を解かれた人間は、
皮肉にも開け放たれた 「パンドラの箱」 を前に、
益々、「行為の仕方を決定できない人々の群れ」 として、
そのとめどない妄想と際限のない勝手気ままな思いとに悩まされ、
何時果てるとも知れぬランダムな 「意識の波」 に呑み込まれて
しまったのである。
< 事象=世界は、未だ一向に事象=世界のままだと言うのに >
彼 (後期ヴィトゲンシュタイン) が、
≪ 規則は行為の仕方を決定できない ≫ と闡明したにも拘わらず、
尚、 「埒」 と 「不埒」 とのあいだを彷徨う 「魂の放浪者」 となって、
日々の 「繰り返し」 に浮き沈みするのである。
< あなたがそう思うかぎりそうでしかない >
――― ここでは、わたしも又、同道同犯者である。