平成18年8月2日(水) ≪プロメテウス≫ 所収
ここでは、約束通り 「自覚する人」 ではなく 「自覚しようのない神」
(所在なき叡智 / 足場なき叡智) について考えてみようと思っています。
( 「神」 を 「叡智」 と読み替えて貰っても結構です。 )
・・・ 臆面もなく、後で申し開きの立たないことになるやもしれないが。
『神は神自身では未だ神ではない』 (無の神)
――― 神は自ら「私は神である」(I am I) とは言わない。
神が神自身である時、神に「名なく」(無名)、「所在なく」(無所住)、
その「自覚がない」(無自覚)。
――― 「神」は、既に神自身で在っても、
未だ、自らが「神自身」であることを知らない。
神は、その「足場」(場、或は場の群れ)を持つことに依って始めて
「自己世界」(神の世界)を知る(持つ)ことができる。
――― ( 自己対称化する神 / 自己相対化し自己相称化する神 )
神は神に死んで、(すなわち、神自身である絶対無を否定して)
始めて自己対称化され、自己相称化された相対的神(有の神)となる。
これが、神の神自身による「自己対称化」と呼ばれる
「真空(完全対称性)の自発的対称性の破れ」であり、真空の相転移である。
――― (自己対称化する神・自覚する神・人間の神)
この人間の内なる神は、自らの完全対称性(絶対自己同一性 / 絶対平衡場 / 真空)
を絶対否定することによって、始めて自己対称化され自己相対化された神となる。
――― つまり、神とは「絶対否定」の神であり、不断に自己否定
(絶対否定 / 真空の自発的対称性の破れ)を繰り返すことによって神たりうる
(つまり神の「場」を得る)と言う「絶対否定即絶対肯定」(逆も真)の神といえる。*
* 人の側からは「即非即即是(逆も真)」の絶対矛盾的構造と見える。
――― これが、真空の自発的破れに伴う「神の火」(光明 / バイオ・フォトン)の
発光(生成)と放光(消滅)、即ち生と死の「同一事態性」(生死一如・生成即消滅)
であると共に、発光と放光との時間的な差延化(差異化)の現象、
すなわち、「バリオン数生成」(時空化 / 磁場化 / 現象化)の摩訶不思議と言える。*
(開闢以来の因縁)
* 今も尚、現成し続ける「バリオン数生成」 (久遠実成)
神は、不生不滅、無始無終の当体(絶対平衡場 / 真空場)でありつつも、
生死(生成 / 破れ)それ自体であり、なかんづく自らを絶対否定(真空の破れ)
しつつ絶対肯定(生成 / 現象化)し、絶対肯定しつつ絶対否定を(つまり、生滅を)
繰り返すバイオ・フォトン(光量子)の「発光現象」(対生成)と「放光現象」(対消滅)
との「絶対同一事態性」を言う。 ( エネルギー保存の法則 / 不増不減底 )
此処に、発光(生成)と放光(消滅)との微妙な「時間的なズレ」或は「持続」
とも言うべき「差延化の現象」、すなわち「時空化=現象化」(真空の相転移)
が惹起される。 (・・・各場的な「同調」と「干渉」とを加えながら)
――― これが、生にもあらず(停まらず)死にもあらず(停まらず)、
有にもあらず無にもあらず、是非にもあらずといった『絶対無の神』(不生不滅の神 / 永遠の神)
であり、不断に絶対平衡場(真空場)を担保しつつ自己開示(破り)し続ける
『無の神』(真空の神) の不退転(絶対不可逆)な「生成のダイナミズム」(創成力 / 神の力)
と呼ばれるに到るのです。 ( 四句レンマの神 )
――― ここで、あえて「神」と呼ぶのは、少なくとも「人」ではない
と言う意味に於いてです。
したがって、ここでは神が未だ『絶対無』の神である以上、
「神」という名称(名辞)もなく(名なきもの・不可称)、それに対応する観念や概念もなく
(説き得ざるもの / 不可説)、それについて思議すらできず(思議しようのないもの / 不可思議)、
なによりも、これに即応する実体もない(無形・無相・無体)といった極めて非限定的(無限定)な
『無の神』(真空の神 / 無極の体)に違いないのです。
ここに、『臨済第一句』(三要印開して朱点側つ、未だ擬議を容れざるに主賓分る)
に述べられる『真空の自発的対称性の破れ』(即ち“真空の相転移)が可能
(生成及び現象の可能性)となり、その自覚(人の自覚)が可能となっている。
(生成 / 創成の開示とその自覚)
(以下、第二句・第三句はそれぞれの領分で・・・)
この神の自律的で自発的な完全対称性の破れとして、言うところの『自明自証性』
(P対称性)と『自律自戒性』(C対称性)と『自発自展性』(T対称性)―――
(私はこれらを「心の三要」とか「自覚の三要」と呼んでいるのですが)が印開して、
自他・主客・能所・彼此と言った主賓(相対)に分化(分節)されるのです。
(相対的世界 / 言語ゲーム世界の現前化)
―――「ただいま、間断なく創成中・・・」
( 六道の神光、未だ曽って間歇せず / 『臨済録』 )
「機輪曾って未だ転ぜず、転ずれば即ち両頭に走る」とか、上述した『臨済第一句』
などは「佛家一大事の因縁」とも呼ばれる『転法輪』の事態を開示したものとして
古来より尊ばれ、それぞれがその了悟(発句)に努めてきたのである。
――― 「南無尽十方無碍光如来」
ここでは、約束通り 「自覚する人」 ではなく 「自覚しようのない神」
(所在なき叡智 / 足場なき叡智) について考えてみようと思っています。
( 「神」 を 「叡智」 と読み替えて貰っても結構です。 )
・・・ 臆面もなく、後で申し開きの立たないことになるやもしれないが。
『神は神自身では未だ神ではない』 (無の神)
――― 神は自ら「私は神である」(I am I) とは言わない。
神が神自身である時、神に「名なく」(無名)、「所在なく」(無所住)、
その「自覚がない」(無自覚)。
――― 「神」は、既に神自身で在っても、
未だ、自らが「神自身」であることを知らない。
神は、その「足場」(場、或は場の群れ)を持つことに依って始めて
「自己世界」(神の世界)を知る(持つ)ことができる。
――― ( 自己対称化する神 / 自己相対化し自己相称化する神 )
神は神に死んで、(すなわち、神自身である絶対無を否定して)
始めて自己対称化され、自己相称化された相対的神(有の神)となる。
これが、神の神自身による「自己対称化」と呼ばれる
「真空(完全対称性)の自発的対称性の破れ」であり、真空の相転移である。
――― (自己対称化する神・自覚する神・人間の神)
この人間の内なる神は、自らの完全対称性(絶対自己同一性 / 絶対平衡場 / 真空)
を絶対否定することによって、始めて自己対称化され自己相対化された神となる。
――― つまり、神とは「絶対否定」の神であり、不断に自己否定
(絶対否定 / 真空の自発的対称性の破れ)を繰り返すことによって神たりうる
(つまり神の「場」を得る)と言う「絶対否定即絶対肯定」(逆も真)の神といえる。*
* 人の側からは「即非即即是(逆も真)」の絶対矛盾的構造と見える。
――― これが、真空の自発的破れに伴う「神の火」(光明 / バイオ・フォトン)の
発光(生成)と放光(消滅)、即ち生と死の「同一事態性」(生死一如・生成即消滅)
であると共に、発光と放光との時間的な差延化(差異化)の現象、
すなわち、「バリオン数生成」(時空化 / 磁場化 / 現象化)の摩訶不思議と言える。*
(開闢以来の因縁)
* 今も尚、現成し続ける「バリオン数生成」 (久遠実成)
神は、不生不滅、無始無終の当体(絶対平衡場 / 真空場)でありつつも、
生死(生成 / 破れ)それ自体であり、なかんづく自らを絶対否定(真空の破れ)
しつつ絶対肯定(生成 / 現象化)し、絶対肯定しつつ絶対否定を(つまり、生滅を)
繰り返すバイオ・フォトン(光量子)の「発光現象」(対生成)と「放光現象」(対消滅)
との「絶対同一事態性」を言う。 ( エネルギー保存の法則 / 不増不減底 )
此処に、発光(生成)と放光(消滅)との微妙な「時間的なズレ」或は「持続」
とも言うべき「差延化の現象」、すなわち「時空化=現象化」(真空の相転移)
が惹起される。 (・・・各場的な「同調」と「干渉」とを加えながら)
――― これが、生にもあらず(停まらず)死にもあらず(停まらず)、
有にもあらず無にもあらず、是非にもあらずといった『絶対無の神』(不生不滅の神 / 永遠の神)
であり、不断に絶対平衡場(真空場)を担保しつつ自己開示(破り)し続ける
『無の神』(真空の神) の不退転(絶対不可逆)な「生成のダイナミズム」(創成力 / 神の力)
と呼ばれるに到るのです。 ( 四句レンマの神 )
――― ここで、あえて「神」と呼ぶのは、少なくとも「人」ではない
と言う意味に於いてです。
したがって、ここでは神が未だ『絶対無』の神である以上、
「神」という名称(名辞)もなく(名なきもの・不可称)、それに対応する観念や概念もなく
(説き得ざるもの / 不可説)、それについて思議すらできず(思議しようのないもの / 不可思議)、
なによりも、これに即応する実体もない(無形・無相・無体)といった極めて非限定的(無限定)な
『無の神』(真空の神 / 無極の体)に違いないのです。
ここに、『臨済第一句』(三要印開して朱点側つ、未だ擬議を容れざるに主賓分る)
に述べられる『真空の自発的対称性の破れ』(即ち“真空の相転移)が可能
(生成及び現象の可能性)となり、その自覚(人の自覚)が可能となっている。
(生成 / 創成の開示とその自覚)
(以下、第二句・第三句はそれぞれの領分で・・・)
この神の自律的で自発的な完全対称性の破れとして、言うところの『自明自証性』
(P対称性)と『自律自戒性』(C対称性)と『自発自展性』(T対称性)―――
(私はこれらを「心の三要」とか「自覚の三要」と呼んでいるのですが)が印開して、
自他・主客・能所・彼此と言った主賓(相対)に分化(分節)されるのです。
(相対的世界 / 言語ゲーム世界の現前化)
―――「ただいま、間断なく創成中・・・」
( 六道の神光、未だ曽って間歇せず / 『臨済録』 )
「機輪曾って未だ転ぜず、転ずれば即ち両頭に走る」とか、上述した『臨済第一句』
などは「佛家一大事の因縁」とも呼ばれる『転法輪』の事態を開示したものとして
古来より尊ばれ、それぞれがその了悟(発句)に努めてきたのである。
――― 「南無尽十方無碍光如来」