平成18年7月14日(金)       ≪煩悩のかさぶた≫ 所収
 
 
  ふつう仏教では、『法』(ダルマ・ダンマ)を得て、始めてその嚆矢(登竜門・入門)
  とするのですが、お聞き及びのように、釈尊は、さらに「法さえも捨てよ」と、
  その「法執」(法に対する執着・所有・所得)を誡めております。   (筏の比喩)

  この「法執」「法我」「法愛」「法慢」とも呼ばれる一連の『法』に対する『執着』を、
  『法障』(法を知ったこと、或は法を所得したことによる“さわり”)と呼んで、
  これを解脱(脱却・脱落)せよと、強く求めるのです。   (法の餓鬼)

   (・・・せっかく手に入れたのに。)

  これを『慧解脱』(戒体発得)とも『法障滅』(無明滅 / 惑業苦滅)とも呼んでいる
  のですが、これが言うほどには簡単ではなく、古来より大乗法の「八正道分修行」
  の一環として、『心解脱』(光明発得)と共に(これは、“三昧”を中心に展開される
  修行法ですが)、双方向性の修行法として古来より認知されて来たのである。*
 
  * 『心慧の解脱』 については、追々詳しく説明する機会もあろうかと思います。

  ここでは、「心解脱」(心空・究竟次第)と「慧解脱」(法空・生起次第)の
  両義次第(即ち“因縁”)の解明を経て、『無生法忍』(因縁空・縁起空・三祇劫空)へと
  出身(脱体現成)してくる『転法輪』の事態(身心脱落・脱落身心 / 生成のダイナミズム)を
  書き留めればと思っています。 

 
  出来るだけ具体的に伝えたいので、少し私の体験を書き加えて
  お話してみようと思います。
 
  私は「心解脱」(光明発得)から「慧解脱」(戒体発得)に到るまでに
  五年の歳月を要しました。
 
  勿論、「心解脱」は“三昧”(サマーディ)を中心とした修行法(私の場合は“禅定”)
  である為に室内での体験でしたが、この「慧解脱」(悟後の修行)に到っては、
  まったくの屋外、それも、乗り換えの人ごみでごった返すプラットホーム上での
  出来事でした。
 
  当時、伯母の葬儀を終えての道すがら、三歳になったばかりの末娘を連れての帰り道で、
  ちょうど昼時でもあったので、駅舎の中にある“立ち食いそば”を娘に食べさせて
  いるところでした。
 
  私も随分と腹が減っていたのですが、とりあえず先に娘に食べさせてからと、
  その口に“そば”を運び入れ、娘の歯が箸を噛んだ瞬間、それが起こったのです。

  それは、例えてみれば、「私の世界」(己心法界 / 唯心の浄土)が一瞬にして
  叩き壊され(百雑砕され)、それまで「思量底」であった世界が、一挙に「非思量底」
  の世界へと抜け落ちてしまったのです。   (破鏡の事・脱落底の現前化)
 
 
  正直、この体験は“大変”でした。
  何故なら、この瞬間に「わたしは、わたしではなくなった」のですから。
         
  ――― < 自己同一性の破れ・自我の崩壊 >  【 破戒 】

 
  小さな娘をかかえて、「茫然自失の態」(失神状態ではない)に在るわたしは、
  一瞬にして、その「東西南北」(方向性)を見失い、ただ「ウロウロ、オロオロ」
  するばかりだったのですから。   (わたしは誰? ここは何処?)

  それまで自同律によって守られていた自我意識(法我)が、娘からのインパルスを
  受けた瞬間、一瞬にして崩壊(破れ)したのです。  ( 時節因縁「仏縁」を知るべし )

  「私がない」という事態が、どれほどの事態であるかは、この体験に過ぎるものは
  ないと言っても過言ではありません。   (無我・無心の現況の開示)
 
  「非思量底」と言うものが、あるいは「度彼岸」(到彼岸)と言うものが、
  まったく以って、絶言絶慮の「言語道断底」であったということ、
  のみならず、その畏ろしさというか、そのあてどなさ、よるべなさに到っては、
  単に「大死一番」(身心脱落)では済まされない「絶対無」の現前化であり、
  その現況の開示でもあったのですから。


  ――― 何はともあれ、自らの「身を持って知る」のが「人の痛み」を知る

  最善の方法には違いないのですから。

                             (十字街頭の破草鞋)