平成18年7月13日(木)       ≪煩悩のかさぶた≫ 所収

 
 
   <破鏡重ねて照さず、落花は枝に上り難し>  (華厳禅師)

 
 
   熱狂に明け暮れたサッカーW杯も熱狂と興奮の余韻と共に、
   多少のくたびれを残して、無事に終りを告げました。

   私どもも、御多分にもれず一抹の淋しさと、熱狂の余熱の中に
   敗残の身をさらしています。


 
   <国破れて山河在り、城春にして草木深し・・・>  (杜甫)

 
 
   『無門関』三十八「牛過窓櫺」に曰く、
 
   五祖曰く、「譬えば水牯牛の窓櫺を過ぐるが如き、頭角四蹄都べて過ぎ了るに、
   甚麼に因ってか尾巴過ぐることを得ざる」。

   無門曰く、「若し者裏に向かって顚倒して、一隻眼を著け得、一転語を下し得ば、
   以て上四恩に報じ、下三有を資くべし。
   其れ或いは未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得べし」。
 

 
   <劫火洞然として毫末尽く、青山旧きに依って白雲の中>  (五祖法演)

 
 
   『碧巌録』第二十九則「大隋劫火洞然」垂示に云く、
 
   魚行げば水濁り、鳥飛べば毛落つ。
   明らかに主賓を辨じ、洞かに緇素を分つ。
   直に当台の明鏡、掌内の明珠に似たり。
   漢現り胡来たり、声に彰れ色に顕る。
   且く道え、為什麼(なにゆえ)にか此の如くなる。
   試みに挙し看ん。

 
   【本則】に曰く、
 
   挙す。僧、大隋(法真)に問う、
 
   「劫火洞然として、大千倶に壊す。未審、這箇(しゃこ)は壊するか壊せざるか」。
  
   隋云く、「壊す」。
  
   僧云く、「恁麼ならば則ち他(それ)に随い去(ゆ)かん」。
  
   隋云く、「他(それ)に随い去(ゆ)け」と。
                           
                            (「岩波文庫」参照)

 
 
   何とも厄介な人達だ。
 
   すでに大千(三千大千世界)壊し、這箇も壊すと言うに、
 
   何処に向かって、何に随い去(ゆ)けというのか。

 
 
   ――― 只、「他(それ)に随い去け」 (尚、出身の道在り) と。
      
         ( 是れ、了訣の 「信」 なるべし。)
 
 
 
   この「破鏡の事」(百雑砕)を経ずして(即ち「脱落の境涯」を経ずして)、
   
   一体、何処に身を置くと言うのか。    (落着の真底)
 
 
   (下手をすりゃ、足の踏み場もないと言うのに。)

 
   何を言うとも詮なき事とは言え、この絶言絶慮の当処に於いて、
 
   尚、一段の発動あるを知れば、

   この人、乾坤に独歩して障碍あること無けん。

   
   さても「天上天下唯我独尊」とやせん、「独坐大雄峰」とやせん。
 
   これ「活潑潑地」にして「威風堂々」の生(悄然の気に堕せず)となす。

 
   
   ――― 道うべし、汝が「真底やいかん」。

   無門曰く、「真金を識らんと要せば、悉く火裏に看よ」 と。