平成18年3月16日(木)       ≪龍吟譜≫ 所収
 
 
 
 当処に 「真実」 を明らめ、この真実を明らめているのが誰なのかが
 即座に (同時かつ同事に) 了解できれば、この一連の 「連想ゲーム」 は
 終りを迎えます。
 
 
 
 ――― 『無門関』四十七「兜率三関」の頌に曰く
 
 「一念普く観ず無量劫、無量劫の事即ち如今。如今箇の一念を覰破すれば、
 如今覰る底の人を覰破す」。   ( この一人を見破るべし!!)
 
 
 言うところの 「言語ゲーム世界」 からの脱却 (解脱・脱落) であり、 
 「非(脱)言語ゲーム世界」 の現成 (一超直入如来地/永遠の現在) である。 

 
 この 「真地の風光」 とも 「真底」 とも呼ばれる事態は、言うほどには簡単ではなく、
 古来より様々な人たちによって、様々に苦心惨憺して諦められてきた処のものであり、
 言わば言葉にならない 「言語道断底の事態」 と言えるでしょう。
 
 
 「無(絶対無)の現在」 とも呼ばれるこのような事態性を正確に (即ち論理的に) 
 記述することは困難を極めます。 (形而下の事態性を形而上に語ることのアポリア)
 
 
 正直いって、今の私にはその力量がありません。
 したがって、私が一番 “当を得て妙だ” と感じる禅の古録を引いてその任に
 換える事とします。

 
 
 『時に僧有り問う、如何なるか是れ祖師西来の意。師云く、庭前の柏樹子。
 学云く、和尚、境を将て人に示す莫れ。師云く、我、境を将て人に示さず。
 云く、如何なるか是れ祖師西来の意。師云く、庭前の柏樹子』、と。
                              
                                
                                 (『趙州録』参照 )