平成18年3月15日(水)       ≪龍吟譜≫ 所収

  
 
 「覿面に真実を諦める」 と言うことが、意外にとても大事なことのように思えるのです。
     
   
   ≪ 当処、これ真実 (如是実相) の現場だ ≫ と。
  
  
 
 もし人が、当処に在って是の如く了見できれば、
 是のひとは、覿面に真実 (真如実相/諸法実相/如是実相) を諦めた人として
 「慧解脱」を成就し、一切の「所知障」(知ったこと、或は知ることに依る「障り」)
 から脱却(解脱)して、その「無明滅」 (「所知障滅」「惑業苦滅」とも言う。)
 を成就するのですから。  

 
 
 ――― 『無門関』三十六“路逢達道”に曰く。
 
 五祖曰く、「路に達道の人に逢わば、語黙を以って対せざれ。且く道え、
 何を以ってか対せん」。
 
 無門曰く、「若し者裏に向かって対得して親切ならば、妨げず慶快なることを。
 其れ或いは未だ然らずんば、也た須らく一切処に眼を著くべし」。

 
 
 ――― 更に『無門関』四十五“他是阿誰”に曰く。
 
 無門曰く、「若也他を見得して分暁ならば、譬えば十字街頭に親爺に撞見するが
 如くに相い似て、更に別人に問うて是と不是と道うことを須いず」、と。                                       
  
          
 
 ――― ≪ 如法(真実)現前 ≫