平成18年3月9日(木) ≪龍吟譜≫ 所収
きのう、「nekonabe no Tetu」にWordからBlogへの転送のしかたを教わりました。
ですから今日は、「かこみ」(きりとり?)と「こぴい」と 「はりつけ」で、
あたまの中がはりついています。
老朽化したあたまの中に新鮮な風を送り込むことは、“しげき的”であり、
多少の興奮は禁じえませんが、それにしてもこのようなシステムを考え、
ステージをこさえ、スキームを考えた奴の気がしれません。
わたしの方はと言うと、あい変わらずの<スキルよりウイルじゃ>で
押しとおしています。 ( 頑迷!!)
ですから、あっちでスネ打ちゃ、こっちで手を挟むと言った具合で、
七転八倒の毎日です。
おかげさまで、今日でBlog開扉いらい五日目となりました。
「無事」にここまで来れたのがウソのようです。 (嘘!!)
ですから、きょうは「サンキュウの日」(3/9)にちなんで、
少し「kyouoyaji」の“ぷろふぃーる”なんぞを紹介します。
と言っても、“中味”など何もない(Nothing)“おやじ”ですので、
手当たりしだい思いつくままに書いてみます。
じつは・・・。
「kyou」と「oyaji」のあいだに「NO」を入れたかったのです。
そうすれば、私の“いめーじ”はより鮮明となるのは必死で、「京のOyaji」から
始まって、「今日のOyaji」に至り、「狂のOyaji」に舞いつつ、最後にいたって、
「NO Oyaji」に帰るといった一連の“ぷろふぃーる”が出来上がるのです。
これで足りない人は、「kyou」の文字変換をたどって頂ければ、おのずから
「こたえ」が出るとおもいます。
ちなみに、私は「ムカシ巨人」ファンです。(カクレではありません。)
「阪神(半信)ファンにあらずんば、人にあらず」の この地にあって、
ひとり孤高を保つのは並たいていではありません。
(だいいち、誰も相手にしてくれません。)
だからといって、「イマ巨人」ファンともいまいち話が合いません。
ですから、この地は「へそ曲がりOyaji」には打ってつけの地なのです。
・・・またぞろ、「へりくつの虫」が騒ぎ立てます。
(お言葉に甘えて)・・・「打ってつけの地」と言うことでいえば、この『京』の地は
私にとっての『場所』をあらわし、昨日・今日・明日の『今日』が、『時間』を
(正確には『現在』を)、そして風狂にあそぶ『狂』が、『私自身』を現しています。
これを小むずかしく言うと、場所の 『京』 が 『P(parity)対称性』 を、
風狂にあそぶ 『狂』 が 『C(charge)対称性』 を、
そして最後の 『今日』 が、 『T(time)対称性』 を現しているのです。
言うところの『局所対称性の自己』として。(あるいは『局所対称性の現在』とも)
最後に、臨済禅師の「第一句」を挙揚してこの稿を終わることとします。
――― 「三要印開して朱点側つ、未だ擬議を容れざるに主賓分る」
(『臨済録』“上堂”参照)
きのう、「nekonabe no Tetu」にWordからBlogへの転送のしかたを教わりました。
ですから今日は、「かこみ」(きりとり?)と「こぴい」と 「はりつけ」で、
あたまの中がはりついています。
老朽化したあたまの中に新鮮な風を送り込むことは、“しげき的”であり、
多少の興奮は禁じえませんが、それにしてもこのようなシステムを考え、
ステージをこさえ、スキームを考えた奴の気がしれません。
わたしの方はと言うと、あい変わらずの<スキルよりウイルじゃ>で
押しとおしています。 ( 頑迷!!)
ですから、あっちでスネ打ちゃ、こっちで手を挟むと言った具合で、
七転八倒の毎日です。
おかげさまで、今日でBlog開扉いらい五日目となりました。
「無事」にここまで来れたのがウソのようです。 (嘘!!)
ですから、きょうは「サンキュウの日」(3/9)にちなんで、
少し「kyouoyaji」の“ぷろふぃーる”なんぞを紹介します。
と言っても、“中味”など何もない(Nothing)“おやじ”ですので、
手当たりしだい思いつくままに書いてみます。
じつは・・・。
「kyou」と「oyaji」のあいだに「NO」を入れたかったのです。
そうすれば、私の“いめーじ”はより鮮明となるのは必死で、「京のOyaji」から
始まって、「今日のOyaji」に至り、「狂のOyaji」に舞いつつ、最後にいたって、
「NO Oyaji」に帰るといった一連の“ぷろふぃーる”が出来上がるのです。
これで足りない人は、「kyou」の文字変換をたどって頂ければ、おのずから
「こたえ」が出るとおもいます。
ちなみに、私は「ムカシ巨人」ファンです。(カクレではありません。)
「阪神(半信)ファンにあらずんば、人にあらず」の この地にあって、
ひとり孤高を保つのは並たいていではありません。
(だいいち、誰も相手にしてくれません。)
だからといって、「イマ巨人」ファンともいまいち話が合いません。
ですから、この地は「へそ曲がりOyaji」には打ってつけの地なのです。
・・・またぞろ、「へりくつの虫」が騒ぎ立てます。
(お言葉に甘えて)・・・「打ってつけの地」と言うことでいえば、この『京』の地は
私にとっての『場所』をあらわし、昨日・今日・明日の『今日』が、『時間』を
(正確には『現在』を)、そして風狂にあそぶ『狂』が、『私自身』を現しています。
これを小むずかしく言うと、場所の 『京』 が 『P(parity)対称性』 を、
風狂にあそぶ 『狂』 が 『C(charge)対称性』 を、
そして最後の 『今日』 が、 『T(time)対称性』 を現しているのです。
言うところの『局所対称性の自己』として。(あるいは『局所対称性の現在』とも)
最後に、臨済禅師の「第一句」を挙揚してこの稿を終わることとします。
――― 「三要印開して朱点側つ、未だ擬議を容れざるに主賓分る」
(『臨済録』“上堂”参照)