※フィクション
かなり前の話だ。10代のときだったかな。学校だったか、仕事の研修だったか・・・。
複数の人が、僕に声をなげできた。大きな声で。
僕はそれに対して、ペコリっておじぎをしたんだ。なにも言わずに。
僕は、自分がたいして価値がない人間だって思っていた。自分に自信がなかった。
だから、僕はあなたの記憶に残る価値がないんです。って、小さい声でしゃべっていた。自分をアピールしなかった。ほとんどしゃべらなかった。
だけど、年配の人からこう言われたんだ。
「それじゃああなたが一番記憶に残っちゃうよ」
いやいや。そんなつもりはなかったんだ。自分なんてたいして価値がないからって思って・・・。
僕は怒られたって思って、なるべく大きな声をだすようにした。なるべくしゃべるようにした。自分をアピールするようになった。
(略)
それから時が経過して、私は追い詰められていた。借金が返せなくなっていたからだ。助けてほしくても、あまり人から相手にされなくなっていた。どうしてこうなったんだろう。昔はいろいろな人が気にかけてくれた。自分からアピールしなくても興味をもってくれたし、ほとんどしゃべらなくても、しゃべりかけてくれた。
そうだ、昔みたいにふるまえば・・・。僕は「それじゃああなたが一番記憶に残っちゃうよ」って言われた過去を思い出して、そのときの自分みたいにふるまうようになったんだ。
だけど、同じようにならなかった。それどころか、人が離れていくじゃないの。
「自分なんて価値がないから」って、記憶に残らないようにしていたら、記憶に残っちゃう。
これをわざとやってみたら、だーれにも相手にされない。
どういうこと?
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これは説明をしない。というか説明をしようとするとすごく大変な気がする。いや、無理かも。
モノは言葉で表現ができる。
技は言葉で表現することが難しい。
人は、言葉では表現ができない。
人としていいなって思う人ってどういう人なんだろう。人としていいなって思われたいって思ってふるまっても、うまくいかないよ。だって技よりも上の、『人』の領域だから。
私がこのブログで書いていることとか、作品とかを読んで、やらしいなーって思っている人いるかもしれない。記憶に刻まれる方法を考えているって。
だけど、意味がないんだよ。だって、『人』としていい人が記憶に刻まれるから。そしてそれは、ごまかせない部分だ。
いいひとは、何回も何回も思い出される。人に紹介される。話題にでてくる。嘘つこうとしたって、無理だよ。でちゃうもの。その人の話しちゃうもの。考えちゃうもの。
なりたいなあ。そういう人に。