映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】 | アオサンだーjp

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20151201


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本日の何だか気になるキーワード


1 7~9月期11.2%増(設備投資額)
2 偵察機や兵員1200人派遣へ、対IS作戦支援(独政府)
3 ラーメン店が世界初の一つ星「蔦」(ミシュランガイド東京)
4 マイナンバーは「違憲」(全国5地裁に156人一斉提訴)
5 ストーブ列車開始(津軽鉄道)
6 悪貨が世界を脅かす(人民元SDR入り)
7 マイナンバーカード最初の配達の遅れ650万通(日本郵便)
8 「トリプルスリー」「爆買い」(流行語大賞)
9 大槌町でマイナンバー送付ミス(岩手県)
10 大学でテロ訓練を襲撃と勘違い 1人死亡20人以上負傷 (ケニ

ア)



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映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】





実話なので、興味津々で見ました。


主人公マリアのモデルになった人が亡くなったのが2011年なので

、手際よく映画化されたものです。


それだけ世界中で話題性の高い裁判だったのでしょう。



<あらすじ>
https://hlo.tohotheater.jp/net/movie/TNPI3060J01.do?sakuhin_cd=012637



マリア・アルトマン、82歳。アメリカに暮らす彼女がオーストリ

ア“政府”を訴えた。

それは“オーストリアのモナリザ”と称されるクリムトの名画を

「私に返してください」という驚きの要求だった。


クリムトが描いた、黄金に輝く伯母・アデーレの肖像画は、第二

次世界大戦中、ナチスに奪われたもので、正当な持ち主である自

分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張だった。


大切なものすべてを奪われたマリアが、名画よりも本当に取り戻

したかったものとは──? 


最後に明かされる真実が、前へと進む力をくれる希望と感動の実

話。


監督 サイモン・カーティス
出演 ヘレン・ミレン、ライアン・レイノルズ、ダニエル・

ブリュール


[黄金のアデーレ 名画の帰還 上映時間:109分 ]




主人公も彼女を支える若い弁護士も、
気持ちが逡巡し、
途中絵画を取り戻すのを諦めかけますが、
弁護士事務所を辞めてまでこの裁判にかける一途な思いが
勝利に繋がった結果になります。


今度ニューヨークへ行ったら、
是非本物を見てみたいものです。


日本人ならこんなに粘り強くできないんじゃないか、
と感じました。


マリアも最初はそうでしたが、
そもそも最初から取り返そうなんて思わない。



それにしても、
いついつまでも、
ナチスの亡霊は彷徨っているものです。


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「アデーレ・ブロッホ=バウアー」
ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%87%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%9B%EF%BC%9D%E3%83%90%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC


アデーレ・ブロッホ=バウアー(Adele Bloch-Bauer, 1881年8月9

日 ウィーン - 1925年1月24日 ウィーン)は、オーストリアの実

業家フェルディナント・ブロッホ=バウアーの妻。1907年にグス

タフ・クリムトに制作を依頼した『アデーレ・ブロッホ=バウア

ーの肖像 I』(「黄金のアデーレ」)は、ウィーンのユーゲント

・シュティール(世紀末芸術)を代表する芸術作品の1つとして知

られている。


ユダヤ系の銀行家モーリッツ・バウアー(1840年 - 1905年)の娘

で、1899年に同じユダヤ系の製糖工場の所有主フェルディナント

・ブロッホと結婚、夫婦はブロッホ=バウアー(Bloch-Bauer)の

複合姓を名乗った。アデーレのサロンにはウィーンのユダヤ系上

流市民が集まり、芸術家、文筆家、カール・レンナーやユリウス

・タンドラー(英語版)といった社会民主党系の政治家が出入り

した。ブロッホ=バウアー夫妻はウィーン分離派の芸術家たちを

支援したが、中でもグスタフ・クリムトはアデーレの肖像画を2度

描いている。『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』(1907

年)と『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 II』(1912年)で

ある。


姪マリア・アルトマンの回想によると、彼女は「病がちで、特に

偏頭痛に苦しめられており、ヘビースモーカーで、非常に華奢で

、憂鬱症だった。顔立ちは理知的で、細長く、洗練されていた。

傲岸不遜な性格で…常に観念的な思念を追求していた」。アデー

レは1925年に髄膜炎で死去し、ウィーン・ジンマーリンク(英語

版)地区の火葬場(ドイツ語版)付属墓地に葬られた。


「黄金のアデーレ」の肖像画をめぐっては、オーストリア共和国

政府と、同国に絵画の返還を求めるブロッホ=バウアー夫妻の姪

マリア・アルトマンおよびその共同相続人の間で、2006年に至る

まで長い法廷闘争があった。法廷闘争の争点はアデーレの遺言で

あった[1]。彼女は死後、夫に対し、自分を描いた作品については

ベルヴェデーレ宮殿美術館(オーストリア・ギャラリー)に寄贈

するように言い残した。同美術館を経営するオーストリア政府は

、この遺言を盾にこれらの絵画の合法的な所有権を主張した。


しかし夫のフェルディナントは、2枚の肖像画を寄贈するようにと

の死んだ妻の遺言に関して、これらの肖像画の所有権はもともと

自分にあるとして、遺言を実行に移さなかった。1938年のアンシ

ュルス後、アーリア化の動きの中で、絵画を含む財産を残して国

外に逃れたフェルディナントは、自らの所有する絵画を政府へ寄

贈する考えを取り消し、遺言で甥姪に相続させるとしたのである

。こうした経緯から、法廷闘争は発生した。


その後、「黄金のアデーレ」はロナルド・ローダーに買い取られ

、現在はニューヨークのノイエ・ガレリエに所蔵されている。


(ニューヨーク、セントラルパークのそばの5番街にある邸宅美術

館)



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20151201
映画【黄金のアデーレ 名画の帰還】



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