20150306
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本日の何だか気になるキーワード
1 自衛隊法改正(集団的自衛権の行使)
2 「文官統制」全廃(防衛省)
3 「防衛装備庁」新設(約1800人体制)
4 5日の米国株騰落(1位ゴラールLNG16.4% 輸送・物流)
5 ハリルホジッチ監督(アギーレ継承)
6 「桜」のLED2万個(日本橋のビル街)
7 イタリア男面識ない女性にキス(県迷惑防止条例違反)
8 遺伝子検査サービス(自分の祖先がわかる)
9 春レタス(坂東で収穫本格化)
10 薬のネット販売利用者(「価格」重視)
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今話題の映画「アメリカンスナイパー」
日本でも2月21日から公開されていますので、
見に行きました。
IMAXの方で見たので、画面が巨大で迫力があって、
音がズンズンお腹に響きました。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、
内容が内容なので、頭が痺れてジンジンしていました。
いつもは、映画が終わるとすぐに立ち上がる人が多いのですが、
今回は、すぐ出ていく人はほとんどいませんでした。
IMAXのせいばかりではなく、映画の内容に
余韻が残り過ぎというか、椅子に引っ張られているように
立ち上がるのがおっくうでした。
ところで、昔からニューヨークでは、
IMAXのネオンををよく見かけました。
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「IMAX」とは
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/IMAX
『アイマックス』(英: IMAX)は、カナダのアイマックス社
(アイマックス・コーポレーション)が開発した
動画フィルムの規格及びその映写システムである。
通常の映画で使用されるフィルムよりも
大きなサイズの映像を記録・上映出来る。
アイマックスフォーマットで撮影され上映される作品もあるが、
通常の映画作品をアップコンバートし、アイマックス用の
映画館(アイマックスシアター)で上映することもある。
アイマックスシアターは常設館もあるが、
イベントなどの特設会場で採用されていることも多い。
歴史
アイマックスシステムはカナダ人のグレーム・ファーガソン、
ローマン・クロイター、ロバート・カー、ウィリアム・ショー
によって開発された。
1967年のモントリオール万国博覧会でクロイターも
ファーガソンもマルチスクリーン投影システムを使用したが、
技術的に課題があったため、共同で「マルチスクリーン社」
という会社を創業。
結果として、紆余曲折の後ショーの開発した
シングルスクリーンシステムに落ち着くことになった。
その後大画面投影方式を導入するに至り、
社名も「アイマックス社」と変更した。
1970年、大阪で開催された日本万国博覧会において、
富士グループパビリオンにて世界初のアイマックス
方式による作品「虎の仔(Tiger Child)」が上映された。
世界最初の常設館が1971年、カナダ・トロントの
オンタリオ・プレイスに設置された(現在も営業中)。
1985年、世界初のアイマックス 3D作品「ザ・ユニバース」
が筑波研究学園都市で開催されたつくば科学万博
EXPO'85の富士通パビリオンで上映された。
1991年には、これまでドキュメンタリー、教育映画のみ
であったアイマックス作品に加え、ローリング・ストーンズ
のライブ「Live at the Max」を上映。
その後も娯楽作品を制作し続け、アカデミー短編アニメ賞を
受賞した1999年の作品「老人と海
(アレクサンドル・ペトロフ監督)」が、
アイマックス方式で公開された初のアニメーション映画となった。
アイマックスは70mmフィルムを水平方向に送ることで、
1コマに使うフィルムの面積を通常の映画より広くし、
高精細度の映像が得られるようにしたシステムである。
フィルムの70mm幅を映像の垂直方向に使い、
水平方向には15パーフォレーション分のフィルムを使う。
アイマックスシアターは、通常の映画館より大きく
正方形に近いスクリーンを持ち、広い視野角により
映画の中にいるような感覚を強めるために
座席が急勾配に傾斜している。
世界最大のアイマックスシアターは、
縦29.42m×横35.73mのスクリーンを持つオーストラリアの
LGアイマックス・シアター・シドニーである。
また、通常の映画をアイマックスフィルムに変換する
アイマックスDMRが2002年から行われるようになり、
近年上映されていた新作や旧作映画を
アイマックススクリーンで上映することも行われている。
高価な70mmフィルムを大量に使用し、カメラのレンタル料も
高額なので制作費が多くかかってしまう。
また、撮影素子(フィルム面積)が非常に大きいため、
フォーカスの合う範囲が非常に狭く、セッティング、
撮影に時間がかかってしまう。
アイマックスデジタルシアター
アイマックス・デジタルは、
2008年から行われているデジタル上映方式である。
日本では2009年からアイマックスデジタルシアターが登場している。
映写機には、テキサス・インスツルメンツ社の
2KDLPプロジェクターが採用されている。
3D上映時には2台のプロジェクターを使用するため
他の3Dシステムより明るいのが特徴である。
日本では109シネマズ、ユナイテッド・シネマ、
シネマサンシャイン、ヒューマックスシネマが導入している。
アイマックスシアター
北米を中心に、世界に450館以上のアイマックスシアターがある。
日本でも当初は博覧会にてアイマックスのパビリオンが
建てられていた。
博物館や科学館でない常設の映画館としては、
1996年に新宿にアイマックスシアターが誕生した。
2002年頃からはアイマックスシアターで、
通常の映画館でもかかる映画のアイマックス版が
上映されるようになった。
2009年には日本でもアイマックスデジタル・シアターが開設され、
映画のアイマックス・デジタル版が上映されるようになった。
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映画鑑賞後の余韻が強すぎるというのは、
IMAXシアターシステムのせいばかりではありません。
この映画のシーンが強烈すぎるのです。
この映画はイラク戦争を扱っていますが、
過去にベトナム戦争ものもたくさんありました。
何本か見ています。
もちろん、個人レベルにおいても、国家間においても
不毛な争いは大反対です。
「自分は関係ないから」と背を向けるのではなく、
現実をしっかり直視して、戦争反対への道を
歩んでいかなければならないと思います。
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「ベトナム戦争を扱った映画」
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E6%89%B1%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%98%A0%E7%94%BB
ベトナム戦争を扱った映画の一覧。
当事国の一国であるアメリカで数多く作られたが、
ベトナム戦争そのものが冷戦下でのアメリカの
覇権主義・干渉主義が引き起こしたともいえる
戦争であるため、アメリカによる国威発揚の目的で
撮られたプロパガンダ映画である『グリーン・ベレー』など
一部をのぞいて、戦争に批判的、厭戦的、
あるいは反戦を目的とした内容のものが多い。
娯楽映画に設定だけを取り入れた作品やベトナム戦争を
とりまく世相を反映した作品もあり、このジャンルの
厳密な線引きは難しい。
アメリカ以外の映画には製作国を記載。
1960年代
裏切り部隊 (1964)
肉弾08作戦 (1964)
虐殺部隊 (1965)
動乱のベトナム (1965) (日本)
ベトナム最前線 (1965) (南ベトナム)
ベトナムから遠く離れて (1967) (フランス)
グリーン・ベレー (1968)
これがベトナム戦争だ! (1968) (日本)
燃える戦線 (1968)
ベトナム (1969) (日本)
1970年代
雨の日にふたたび (1972)
ソルジャー・ボーイ (1972)
ハーツ・アンド・マインズ (1974)
ナンバーテンブルース さらばサイゴン (1974製作、2014年公開) (
日本・南ベトナム合作)
ハノイの小鳥 (1974) (北ベトナム)
ベトナム戦争残虐史 (1975) (日本)
幸福の旅路 (1977)
戦場 (1977)
ローリング・サンダー (1977)
トンニャット・ベトナム (1977) (日本)
帰郷 (1978)
ディア・ハンター (1978)
ドッグ・ソルジャー (1978)
地獄の黙示録 (1979)
男たちの戦場 勝利なきベトナム戦線 (1979)
おかあさんはおるす (1979) (ベトナム)
1980年代
無人の野 (1980) (ベトナム)
戦場の小さな恋人たち (1981)
ランボー (1982)
地獄の7人 (1983)
ストリーマーズ 若き兵士たちの物語 (1983)
トワイライトゾーン/超次元の体験~第一話 TIME OUT(1983)
死神ランボー 皆殺しの戦場 (1984)
地獄のヒーロー (1984)
バーディ (1984)
パープル・ハーツ 愛の勲章 (1984)
殺戮戦場 (1985) (香港・タイ)
チャック・ノリスの 地獄のヒーロー2 (1985)
北爆 ホーチミン・ルート ベトナム黙示録(1985) (ソ連)
ストライク・コマンドー (1986) (イタリア)
プラトーン (1986)
水の季節 (1986) (ベトナム)
グッドモーニング, ベトナム (1987)
サイゴン (1987)
地獄からの復讐 コマンドー・ウルフ (1987)
ディア・アメリカ 戦場からの手紙 (1987)
ハノイ・ヒルトン (1987)
友よ、風に抱かれて (1987)
NAM 地獄の突破口 (1987)
ハンバーガー・ヒル (1987)
ファントム・ソルジャー (1987) (イタリア)
フルメタル・ジャケット (1987)
イースタン・コンドル (1987) (香港)
84★チャーリー・モピック ベトナムの照準 (1988)
アイアン・トライアングル (1988)
スクワッド 栄光の鉄人軍団 (1988)
バイ・バイ・ベトナム (1988) (イタリア)
バット★21 (1988)
カジュアリティーズ (1989)
7月4日に生まれて (1989)
イン・カントリー (1989)
1990年代
イントルーダー 怒りの翼 (1990)
ジェイコブス・ラダー (1990)
ダーティ・コマンドー 地獄の要塞 (1990)
エア・アメリカ (1990)
ワイルド・ブリット (1990) (香港)
アゲイン 明日への誓い (1990) (香港)
ホワイト・バッジ3 戦狼たちの墓標 (1990) (韓国)
フォー・ザ・ボーイズ (1991)
ホワイト・バッジ2 戦場の青き狼たち (1991) (韓国)
黒いサボテン (1991) (ベトナム)
ホワイト・バッジ (1992) (韓国)
天と地 (1993)
フォレスト・ガンプ/一期一会 (1994)
ベトナムのダーちゃん (1994) (日本)
SAWADA 青森からベトナムへ ピュリツァー賞カメラマン沢田教一の
生と死 (1996) (日本)
ロイテ―誓い― (1996) (ベトナム)
サイゴンからの旅人(別邦題:遥かな旅) (1996) (ベトナム)
ザ・ウォール (1998)
地雷を踏んだらサヨウナラ (1999) (日本)
砂のような人生 (1999) (ベトナム)
2000年代
タイガーランド (2000)
朝よ 来ないで (2000) (ベトナム)
コウノトリの歌 (2001) (ベトナム・シンガポール)
フィアーズ・オブ・ウォー (2001)
ワンス・アンド・フォーエバー (2002)
ラブストーリー (2003) (韓国)
フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白 (2003)
ベトナム激戦史1967 攻防ケサン基地 (2005) (ベトナム)
PEACE BED アメリカVSジョン・レノン (2006)
アメリカン・ソルジャーズ2 (2006)
花はどこへいった (2007) (日本)
戦場からの脱出 (2007)
あなたは遠いところに (2008) (韓国)
きのう、平和の夢を見た (2009) (ベトナム)
2010年代
アメリカン・ソルジャーズ 真実の戦場 (2010)
T-フォース ベトコン地下要塞制圧部隊 (2010)
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「アメリカンスナイパー」とは
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%91%E3%83%BC
『アメリカン・スナイパー』(原題: American Sniper)は、
アメリカ合衆国で製作され2014年に公開された伝記映画である。
原作はイラク戦争に4度従軍したクリス・カイルが著した自伝
『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』(原題: American Sniper:
The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S.
Military History)で、脚色はジェイソン・ホール
(英語版)が行った。
監督はクリント・イーストウッドで、
ブラッドリー・クーパーが主演を務める。
イーストウッド監督作品としては初めての
IMAXおよびドルビーアトモス対応作品となる。
2015年1月までに北米興行成績で2億1700万ドルを記録し、
『プライベート・ライアン』の2億1650万ドルを超えて
アメリカで公開された戦争映画史上最高の興行収入額となった。
2015年2月には3億ドルを突破した。
ストーリー
テキサス州に生まれたクリス・カイルは、幼いころから
父親に狩猟を教わりながら育った。
ある時父親は「お前は弱い羊達を守る牧羊犬(シープドッグ)
になれ、狼にはなるな」とカイルに教えるのだった。
そして時は経ち、1998年にアメリカ大使館爆破事件を
テレビで見たカイルは愛国心から海軍に志願する。
特殊部隊ネイビー・シールズに配属され、
私生活でも「タヤ」と結婚して幸せな日々を送っていた
カイルであったが、アメリカ同時多発テロ事件を契機に
戦争が始まりカイル自身も戦地へと派遣される。
イラク戦争で狙撃兵として大きな戦果を挙げたカイルは
いつしか軍内で「伝説(レジェンド)」と称賛されるようになるが、
敵からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金をかけられるようになる。
また、後にイスラーム国へと変貌するテロ組織を率いる
ザルカーウィー容疑者を捜索する作戦へと参加したカイルは
1000m級の射撃を行う元射撃オリンピック選手の敵スナイパー
「ムスタファ」と遭遇し、以後何度も死闘を繰り広げる。
凄惨な戦いや守れなかった仲間達の記憶は徐々にカイルの心を
蝕み、戦地から帰国するたびに家族との溝は広がっていく。
カイルは四度のイラク派遣の後に海軍を除隊するが、
戦争の記憶に苛まれ一般社会に馴染めない毎日を送っていた。
しかし医師に勧められて始めた傷痍軍人達との交流を
続けるうちに、少しずつ人間の心を取り戻していく。
しかしある日、退役軍人の一人と射撃訓練に出かけた先で
その男に殺害される(実在するクリス・カイルの
子供達への配慮のため、この場面は直接描写せず文字で示される)。
最後に、クリス・カイルの葬送の記録映像が流される。
キャスト
クリス・カイル - ブラッドリー・クーパー
タヤ・カイル(英語版) - シエナ・ミラー
コルトン・カイル - マックス・チャールズ
マーク・リー(英語版) - ルーク・グライムス
ゴート=ウィンストン - カイル・ガルナー
マーテンス提督 - サム・ジェーガー
ライアン・“ビグルス”・ジョブ - ジェイク・マクドーマン
“D”/ダンドリッジ - コリー・ハードリクト(英語版)
アル=オボーディ師 - ナヴィド・ネガーバン
スニードDIA捜査官 - エリック・クローズ
スクワール - エリック・ラディーン(英語版)
トニー - レイ・ガイエゴス
ドーバー - ケヴィン・レイスズ
ギレスピー海軍大佐 - ブライアン・ハリセイ
ウェイン・カイル - ベン・リード
デビー・カイル - エリース・ロバートソン
ジェフ・カイル - キーア・オドネル(英語版)
サラ - マーネット・パターソン(英語版)
ロール教官 - レオナルド・ロバーツ(英語版)
ムスタファ - サミー・シーク(英語版)
虐殺者 - ミド・ハマダ(英語版)
製作
プリ・プロダクション
2012年5月24日、ワーナー・ブラザーズはクリス・カイルのネイビー・シ
ールズ最強の狙撃手』(文庫版は『アメリカン・スナイパー』改題)を
ブラッドリー・クーパー主演・製作のもとで映画化する権利を得したと
発表した。
2012年9月、デヴィッド・O・ラッセルが本作のメガホン
をとりたいと述べた。
2013年5月2日には、スティーブン・スピルバーグが作を監督することに
なったという報道が出た。
しかし、2013年8月5日に、スピルバーグは本作の製作から抜け、
同年8月21日にクリント・イーストウッドが監督を
務めることが発表された。
2014年3月14日に、シエナ・ミラーが本作に
出演することが決まった。
同年6月3日には、カイルの息子であるコルトン・カイルを
マックス・チャールズが演じることになったと報じられた。
撮影
主要撮影は2014年3月31日にカリフォルニア州
ロサンゼルスで始まった。
また、一部のシーンはモロッコで撮影された。
4月23日にロサンゼルス・タイムズはロサンゼルス市
サンタクラリタのブルー・クラウド撮影所でアフガニスタンの
ある村でのシーンが10日間にわたって行われたと報じた。
5月7日には、カリフォルニア州エル・セントロの
周辺で撮影が行われた。
同月14日には、カリフォルニア州カルバーシティで
数シーンの撮影が行われた後、16日にロサンゼルスに
戻って撮影が続けられた。
公開
2014年11月11日、AFI映画祭において初めて上映された。
興行収入
2014年12月25日、本作は北米4館で限定公開され、
63万3000ドルを稼ぎ出し、週末興行収入ランキング
初登場22位となった。
翌週も4館で公開が続けられ、67万6909ドルを稼ぎ出した。
3週間にわたる限定公開で、本作は330万ドルを稼ぎ出した。
2015年1月16日の北米市場における拡大公開を前に、
専門家は本作が驚異的な興行収入を稼ぎ出すことを予想していた。
その理由としては以下の点があげられている。
本作が第87回アカデミー賞で作品賞、主演男優賞を含む
6部門にノミネートされたこと。
本作が、2013年に公開されてヒットした映画
『ローン・サバイバー』と同じような戦争ドラマであること。
イスラーム国の台頭で、中東に関する関心が高まっていること。
批評家、観客の双方から高い評価を得ていること。
そして、1月15日木曜日のナイトショーにおいて、
本作はR指定を受けた作品としては過去最高となる530万ドル
を稼ぎ出した。
翌16日には全米3555館での上映が始まり、
木曜公開分と合わせて3050万ドルを稼ぎ出した。
最終的に公開初週末に9020万ドルを稼ぎ出し、
週末興行収入ランキング初登場1位となった。
なお、この数字は1月に公開された映画のなかでも、
最高の初動成績である(今までの最高は2014年公開の
『ライド・アロング?相棒見習い?』、4150万ドル)。
また、クリント・イーストウッド監督作品としても
最高の初動成績であり(今までの最高は2008年に公開された
『グラン・トリノ』、2948万ドル)、R指定の映画の
初動成績としても2003年に公開された『マトリックス
リローデッド』の9177万ドル[34]に次ぐ第2位の成績である。
拡大公開2週目には公開規模が全米3705館にまで拡大された。
R指定の映画の公開規模としては過去最大の規模となった。
そして、前週比28%減の6440万ドルを稼ぎ出し週末興行収入
ランキング1位を維持した。
拡大公開3週目には公開規模が全米3885館にまで公開され、
3180万ドルを稼ぎ出し週末興行収入ランキング
3週連続1位となった。
この数字はスーパーボウル開催週の週末興行収入としては
2008年公開の『ハンナ・モンタナ ザ・コンサート 3D』が
記録した3111万ドルを超えて、過去最高のものである。
全米興行収入は約2億4900万ドル(約300億円)を記録し、
それまで戦争映画として全米歴代興収1位を保持していた
『プライベート・ライアン』の2億1600万ドル(約259億円)
を超え、戦争映画史上最大のヒット作となった。
海外での興行
2014年12月31日、本作はイタリアで公開され、
公開初週末に710万ドルを稼ぎ出した。
この数字はイタリアで公開されたクリント・イーストウッド
監督の映画のなかでは、最高の初動成績である。
2015年1月16日、本作はイギリス、韓国、ニュージーランド
など7か国で公開され930万ドルを稼ぎ出した。
2015年2月21日、本作は日本で公開され、
2月21日 - 22日の週末興行成績が第1位
(公開スクリーン数・333、動員数・24万9321人、
興業収入・3億3239万6600円)を記録。
翌週末の2月28日 - 3月1日でも週末興行成績の第1位
(動員数・24万2428人、興業収入・2億9202万2600円)
を記録し、公開9日間で興業収入10億円を突破した。
評価
本作は批評家から高い評価を得ている。
映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには216件のレビューがあり、
批評家支持率は73%、平均点は10点満点で6.9点となっている。
サイト側による批評家の意見の要約は「クリント・イーストウッド
の確かな監督手腕と観客の心を打つブラッドリー・クーパーの
演技によって、『アメリカン・スナイパー』は
現実に起きた出来事を鮮やかに描き出し、
緊迫感を出すことができた」となっている。
また、Metacriticには45件のレビューがあり、
加重平均値は72/100となっている。
なお、本作のシネマスコアはA+となっている。
論争・騒動
本作は大ヒット作となり、アメリカではさまざまな
著名人が鑑賞して感想を述べている。
しかし作品の内容を巡って保守派とリベラル派の間では
大きな論争が巻き起こっている。
保守系のサイト「Breitbart.com」は本作を「愛国的で、
戦争を支持する傑作」と好意的に評価している。
女優のジェーン・フォンダは本作のクリス・カイルの
描写を高く評価し、「『アメリカン・スナイパー』には
『帰郷』とは違った戦争の見方がある。
クーパーの演技は鮮やかだ。
ブラヴォー、クリント・イーストウッド」とツイートした。
映画監督のマイケル・ムーアは「スナイパーは背後から
人を撃つ臆病者だと教わった。
ヒーローではない」と発言し大きなニュースとなった。
後にムーアは叔父が第2次世界大戦で日本軍の狙撃手に
射殺されていることや、本作に反戦のメッセージがある
など作品そのものについては評価していると発言をしている。
コメディアンのセス・ローゲンはTwitterで
『イングロリアス・バスターズ』に出てきたナチスの
プロパガンダ映画と本作を比較した発言を行い
ツイッターが炎上した。
ローゲンは「『アメリカン・スナイパー』は好きだ。
ただタランティーノの映画のシーンを
思い出しただけだよ」と反論している。
上記の二人に対しては俳優のロブ・ロウ、
政治家のニュート・ギングリッチらがTwitter上で
厳しい批判を行った。
また、ミシガン州のレストランの店主が二人を
入店禁止にすると発表して話題となった。
『ガーディアン』はクリス・カイルの残忍な殺人者
としての姿をまとめた記事を出し、カイルを
英雄視する人々に疑問を投げかけている。
サラ・ペイリンはFacebookにおいて「私たちの軍隊、
特に私たちの狙撃手たちに神の祝福を」と述べたうえで、
「ハリウッドにいる左翼は光り輝くプラスチックの
トロフィーは愛撫するのに、自由を守ってくれる戦士たちの
墓には唾を吐くのだ。
左翼はクリス・カイルに及ばないと左翼ではない
アメリカ国民が考えていることを左翼は自覚するべきだ」
と主張し、ブラッドリー・クーパー、クリント・イーストウッド、
米軍に感謝の意を示している。
批評家のマックス・ブルメンタルとラニア・カレックが
本作の保守性の強さを批判したところ、
ティー・パーティーの支持者をはじめとする
保守層から脅迫などのハラスメントを受けた。
民主党所属のアメリカ合衆国副大統領ジョー・バイデンは
本作を鑑賞し、ラストシーンでは涙を見せた。
アーノルド・シュワルツェネッガーは本作を高く評価し、
クレジットで涙したとツイッターで発言している。
映画の舞台となったイラクのバグダードでも本作は公開された。
映画は好評で、子供が自爆しようとするシーンでは
「撃て!IEDを持ってるぞ、許可なんかいらない!」
と叫ぶ声も聞かれた。
また、RPG-7を拾い上げた子供を射殺するか迷うシーンでは
「撃て!」の大合唱が起きたという。
差別的だと思うかという問いかけに現地に住む
モハメッドという人物は「そうは思わない。
コーランのことはなにも知らないと言ったシーンだけは
唯一不満だ」と答えた。
映画評論家の町山智浩は、本作を鑑賞して
イーストウッド本人に取材した上で保守派とリベラル派の
論争が起きていること自体を批判している。
イーストウッド監督自身がアフガンやイラクにおける
戦争を批判していることや、『父親たちの星条旗』で
英雄とされた兵士たちがPTSDで苦しむ姿を描き、
また『グラン・トリノ』では朝鮮戦争の体験から
心を閉ざした老人を描いている例を挙げ、本作も戦争経験で
壊れていく人間の姿を描いた作品であるとしている。
イーストウッド監督本人は、「『アメリカン・スナイパー』は
職業軍人や、海軍の将校、何らかの事情で戦地に赴いた人々を
描いている。
戦場では様々なことが起こるという見方以外に、
政治的な価値観は反映されていない。」とコメントしている。
なおイーストウッドは共和党支持者として知られているが、
イラク戦争には一貫して反対の立場を取っている。
受賞
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 (2014年)
作品賞トップ10
監督賞 - クリント・イーストウッド
アメリカ映画協会(AFI)が選ぶ2014年のベスト映画トップ10
第62回ゴールデン・リール賞・映画 音響効果部門
第87回アカデミー賞・音響編集賞
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アメリカへ旅行した時、時々映画を見ました。
「タイタニック」も、日本で封切りされる前に見ました。
映画はアメリカ人によくなじんでいます。
第一に安い娯楽ですし。
車の中から見られる巨大スクリーンもありました。
ハーレムに住んでいた知り合いの黒人は、
いつも新作をチェックしていました。
それにしても、アメリカ映画は派手に銃を打ち合うシーンが多いです。
「もう、うんざり、いい加減にして。」と感じる時もあるくらい。
それは、アメリカ建国以来の歴史から由来するものでしょう。
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「マスコミに載らない海外記事」によれば
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/93---1776239222.html
アメリカは、その歴史のうち93% - 1776年以来の、239年中、222年間が
戦争
アメリカは、国が誕生して以来、平和だったのはわずか
21年間に過ぎない。
2011年に、Daniosはこう書いた。
下記のとおり、年ごとの、アメリカ戦争年表を
作成してみたが、大変に興味深いことがわかる。
アメリカ合州国が1776年に建国されて以来、
235年の存在のうち、214年間、戦争をしてきた。
言い換えれば、アメリカがいかなる戦争も
しなかったのは、わずか21年に過ぎないのだ。
これを見やすく並べてみよう。
* 1776年以降のどの年でもとりあげてみれば、
アメリカがその歴年のうち何らかの戦争を行っている可能性は91%だ。
* 本当に平時の大統領といえるものは一人もいない。
それどころか、アメリカ大統領全員、厳密に言って、
“戦争大統領”と見なすことができる。
* アメリカが10年間、戦争をしなかったことはない。
* アメリカが5年間、戦争をせずにすごした
唯一の時期(1935-40)は、大恐慌の孤立主義時代だ。
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アメリカの主要な戦争の、年ごとの年表は下記の通りだ。
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年ごとのアメリカの主要戦争年表(1776-2011)
1776 - アメリカ独立戦争、チカマウガ戦争、第二次チェロキー戦争
、ペナマイト・ヤンキー戦争
(膨大なため、途中全略)
1998 - イラク爆撃、アフガニスタンとスーダンへのミサイル攻撃
1999 - コソボ戦争
2000 - 大規模戦争無し
2001 - アフガニスタン対テロ戦争
2002 - アフガニスタンとイエメンで対テロ戦争
2003 - アフガニスタンとイラクで対テロ戦争
2004 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2005 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2006 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2007 - アフガニスタン、イラク、パキスタン、ソマリアと、イエメン
対テロ戦争
2008 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2009 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2010 - アフガニスタン、イラク、パキスタンと、イエメン対テロ戦争
2011 - アフガニスタン、イラク、パキスタン、ソマリアと、イエメン
で対テロ戦争; リビアでの紛争(リビア内戦)
こうした戦争の多くで、アメリカは攻撃側だった。
Daniosは、戦争の中には防衛的なものもあったことを認めている。
ただし、Daniosは、 戦争と見なすことのできる、
CIAの秘密作戦や他の行動を除外している。
2011年以降に起きたものを更新しておこう。
2012 - アフガニスタン、イラク、ソマリア、シリアとイエメンで対
テロ戦争
2013 - アフガニスタン、イラク、ソマリア、シリアとイエメンで対
テロ戦争
2014 - アフガニスタン、イラク、ソマリア、シリアとイエメンで対
テロ戦争、ウクライナ内戦
2015 - ソマリア、ソマリア、シリアとイエメンで対テロ戦争、ウク
ライナ内戦
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戦争では、人を殺せば殺すほど英雄扱いされる。
こうした中から、「レジェンド」とまで呼ばれる
狙撃手として優秀なクリス・カイルが
現れるのは、歴史上の必然なのかもしれない。
だが、軍隊などで徹底的に洗脳・訓練されなければ
簡単に人を撃つことはできないと思う。
多くのベトナム帰還兵やイラク帰還兵が
精神異常をきたすのは周知の事実である。
他の映画でも、正当防衛で犯人を撃ち殺してしまった
警官は、精神科医の精神分析を受け復帰していくシーンは
よくある。
自分が殺した人の悪夢から逃れられないという。
だが、こんなに残酷な不毛な争いは
一刻も早く無くなってほしい!
でも、最近の出来事を見ていると、
日本でも自衛隊が前線へ行けるよう法律改正されつつあるし、
イスラム国人質事件を大きな突破口として、
テロ戦争も対岸の火事ではなく、
当事者国の仲間に引きずりこまれてしまった。
ステルス戦闘機も進歩して、
前線で戦うのはアメリカ人ではなく、
アジア人だという構想になっているんではないだろうか。
これからの日本が心配で心配でたまりません。
本当に戦争の無い世界になってほしいと願うばかりです!!!
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20150306
今話題の映画「アメリカンスナイパー」
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