19日に産業医の面談をPCで行い、現場復帰出来る様になりました。
テレビ会議の様なアプリTeamsで産業医との面談をしました。便利な世の中になりました。チョットだけ会話がズレるような感じがしましたが3名での会議だったので、なんとか無事終わりました。
で、昨日、約10ヶ月ぶりに現場に行きました。
何かをやっているわけでも無いのですが、疲れました。
自宅に帰ってお風呂に入って、食事をしたらもう眠くてバタンキュー8:30には寝ていました。
今日は身体中が痛い、胸も痛い。
でも心地良い疲れです。
少しずつですが元に戻して行きます。
あと、二十日ほどで告知から1年が経ちます。
あと4年以上生存するつもりです。
私は告知を受けた時には、余命宣告は受けていませんし聞いてもいません。
告知をしてくれたのは最初の病院の若ーい女医さんです。本当に小さい声で申し訳なさそうに「ステージ3Aです。」と言われて、私は早くその場から離れたくてそれ以上の話しは覚えていません。その後自宅に帰ったのでしょうが、どうやって帰ったのかも良く覚えていません。思い出せないのです。結構冷静に聞いていた様に思っていたのですが。多分私の方がそんな話は聞きたく無い様な態度だったのかもしれません。
そんな私を見てその若い女医さんは、余命の話なんか出来なかったのかも、話すタイミングを逃したのかも、また、患者が聞いてもいない事を喋ることもないだろうと考えたのかもしれません。
余命的な事を言われたのは、今の病院の呼吸器内科の先生から5年生存率は20から30%だと聞いてもいないのに言われました。
私は手術をすれば少しは生存率が高くなるのでは?と質問すると「そんなエビデンスはありません」と冷たくあっさりと言われ、その上、手術しても再発は必ずするとも言われました。
その先生は、だから「手術が良いとは思わない。」と言いました。
私の希望は手術で、前の病院では手術不可なので、この病院では可能かどうかを確認する為に来たのにいきなりのこんな会話でした。
この病院の最初の診察でこんなやり取りでした。
この事もあり、絶対5年以上生きてやると思ったものでした。だからあと4年は生きたいのです。
正式な告知からは1年ですが、肺に影が見つかってからは2年が経ちます。
月日の経つのは早いものです。