BLUE SKYを編集しながら、改めてライブとは?そんな思いを回想してた。
最近のSNSは自分に甘く他人に厳しい言葉が多い。🇯🇵の特性なのか分からないけど、自分が不幸だと他人も不幸にならないと納得いかない風潮が多い。
それがライブにおいてマナーの強要である。
マナーってそもそも、それを守る事でお互い気持ちいい空気を作れるよね?という言って直すというより暗黙の了解だと認識している。
あるFFさんがライブで悔しい、悲しい思いをした。マナーを守ってよと見た。それ自体俺は1つの正しさだと認識してる。けれど、彼等を応援する事の意味をもう一度見直してみる機会なのかもしれないなぁと俺自身は強く感じた。
というのも…そもそも、ライブって高いお金を払うわけだ。そのお金を得る為に何かしらの我慢と自分の命をある意味削ってライブの時間の何十、何百、何千倍もの時間を使ってライブに行く気持ちも作るわけだよ。必ず当たるわけでもないから運もある。
推し達に会う為にかっこよく、可愛く、特別な自分になりたい。そういうモチベで生きるわけだ。そしてその数時間の為に。皆、何万、何十万掛けてるんだよ。
その日を迎えるまでに沢山の我慢をしてるんだよ。マナーも当然皆んな分かってる。
その上で…ライブのパフォーマンスやまなざしに心を射抜かれたら本人も意図しない行動を取る事もあるんだよ。叫ぶって本当に1つの解放だからね。俺は会場で叫ぶ人見る度に、この人はきっと色々辛い事あったのかなぁ…もしくは本能に従ってるのかなぁ?
そんな呑気な感じで見守ってるから、ストレスはないのよ。だって彼等のライブって心の鎖を解放する場所だって先輩達が見せてくれたからね?
それこそ5人のライブ、2人のTONEやWITH、3人のライブ、1人のライブ、もうさ…彼等の活動自体が山あり谷ありで尚且つ、外国人、🇰🇷人という世間の勝手なフィルターつけられて…アウェイな闘いをしてきたでしょ?
3度の活動休止もあれば、何度も言ってるけど本当に一期一会だなと。参戦出来る時は最後のつもりで行く方が記憶に刻まれると思うんだ。当たり前じゃないんだよ。始まりと終わりは常にある。
つまりだ、彼等の生き方は多くの多様性に呑まれてきた。そしてファン達もその荒波に呑まれてきた。自然と見えない鎖に巻かれる宿命を背負ったと言っても良い。それが彼等を応援する事だと俺は自分の推し活という経験を基に断言する。
彼等のライブは自分自身の心の叫び、魂を強く解放する場だと、それの行動が暴力、命に関わる事じゃない限り。俺は何が起きても…許せる…というか受け止めれる自分でいたい。
締めに、マナーを強要する流れになればそれはもうルールや法律になる。そんな状況のライブなんて俺は楽しくないと思う。そんな事は皆、分かってる。分かった上でそれでも自分自身の限界や予期せぬことが起こるからライブは楽しいと思うんだ。
そして、彼等のライブはHOMEであったら良いなぁそれを目指してると考える。例え推し活を辞めても、好きじゃない時間があっても、気づいたらまたこのステージ見に来てた。心あったまるライブだった…そう思える人達が東方神起だと俺は確信してる。少数派も多数派も皆んなハグしようぜ?
争うより愛そうぜ?